蔵さんはため息ばかりついてるじゃありませんか。」
「でも、君には事務の執れるように具《そな》わってるところがあるからいい。」
「そう君のように、むずかしく考えるからさ。庄屋としては民意を代表するし、本陣問屋としては諸街道の交通事業に参加すると想《おも》って見たまえ。とにかく、働きがいはありますぜ。」
囲炉裏ばたの方で焼く小鳥の香気は、やがて二人のいる座敷の方まで通って来た。夕飯には、下女が来て広い炬燵板《こたついた》の上を取り片づけ、そこを食卓の代わりとしてくれた。一本つけてくれた銚子《ちょうし》、串差《くしざ》しにして皿《さら》の上に盛られた鶫《つぐみ》、すべては客を扱い慣れた家の主人の心づかいからであった。その時、半蔵は次ぎの間に寛《くつろ》いでいる佐吉を呼んで、
「佐吉、お前もここへお膳《ぜん》を持って来ないか。旅だ。今夜は一杯やれ。」
この半蔵の「一杯」が佐吉をほほえませた。佐吉は年若ながらに、半蔵よりも飲める口であったから。
「おれは囲炉裏ばたでいただかず。その方が勝手だで。」
と言って佐吉は引きさがった。
「寿平次さん、わたしはこんな旅に出られたことすら、不思議のような気がする。実に一切から離れますね。」
「もうすこし君は楽な気持ちでもよくはありませんか。まあ、その盃《さかずき》でも乾《ほ》すさ。」
若いもの二人《ふたり》は旅の疲れを忘れる程度に盃を重ねた。主人が馳走振《ちそうぶ》りの鶫も食った。焼きたての小鳥の骨をかむ音も互いの耳には楽しかった。
「しかし、半蔵さんもよく話すようになった。以前には、ほんとに黙っていたようですね。」
「自分でもそう思いますよ。今度の旅じゃ、わたしも平田入門を許されて来ました。吾家《うち》の阿爺《おやじ》もああいう人ですから、快く許してくれましたよ。わたしも、これで弟でもあると、家はその弟に譲って、もっと自分の勝手な方へ出て行って見たいんだけれど。」
「今から隠居でもするようなことを言い出した。半蔵さん――君は結局、宗教にでも行くような人じゃありませんか。わたしはそう思って見ているんだが。」
「そこまではまだ考えていません。」
「どうでしょう、平田先生の学問というものは宗教じゃないでしょうか。」
「そうも言えましょう。しかし、あの先生の説いたものは宗教でも、その精神はいわゆる宗教とはまるきり別のものです。」
「まる
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