何《どんな》にそれが原の身にとって、閑散《のんき》で、幽静《しずか》で、楽しかったろう。原はこれから家を挙げて引越して来るにしても、角筈《つのはず》か千駄木《せんだぎ》あたりの郊外生活を夢みている。足ることを知るという哲学者のように、原は自然に任せて楽もうと思うのであった。
美しい洋傘《こうもり》を翳《さ》した人々は幾群か二人の側を通り過ぎた。互に当時の流行を競い合っての風俗は、華麗《はで》で、奔放《ほしいまま》で、絵のように見える。色も、好みも、皆な変った。中には男に孅弱《しなやか》な手を預け、横から私語《ささや》かせ、軽く笑いながら樹蔭を行くものもあった。妻とすら一緒に歩いたことのない原は、時々立留っては眺め入った。「これが首を延して翹望《まちこが》れていた、新しい時代というものであろうか」こう原は自分で自分に尋ねて見たのである。
奏楽堂の後へ出た頃、原は眺め入って、
「しかし、お互いに年をとったね」
と言い出した。相川は笑って、
「年をとった? 僕は今までそんなことを思ったことは無いよ」
「そうかなあ」と原も微笑《ほほえ》んで、「僕はある。一昨日《おととい》も大学の柏木君に
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