たちに分けてくれるものがある。」
次郎は、私がめずらしいことを言い出したという顔つきをした。いよいよ私の待っていた日が来た。私は娘にも言った。
「早昼《はやひる》で出かけるぜ。お前もしたくをするがいいぜ。」
次郎が町のほうへ自動車を約束しに行って帰って来たころに、私も末子も茶の間にいて着物をかえるところであった。出かける時間の都合もあったので、私は昼飯をいつもより早く済ました上で、と思った。
「末ちゃん、羽織《はおり》でも着かえればそれでたくさんなんだよ。きょうは用達《ようたし》に行くんだからね。」
「じゃ、わたしは袴《はかま》にしましょう。」
私と末子とがしたくをしていると、次郎は朝から仕事着兼帯のような背広服で、自分で着かえる世話もなかったものだから、そこに足を投げ出しながらいろいろなことを言った。
「おい、末ちゃんはそんな袴《はかま》で行くのかい。」
「そうよ。」
そう答える末子は婆《ばあ》やにまで手伝ってもらわないと、まだ自分ひとりでは幅の広い帯が堅くしめられなかったからで。末子は母さんののこした古い鏡台の前あたりに立って、黒い袴《はかま》の紐《ひも》を結んだが、それが
前へ
次へ
全39ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング