商人らしいあきらめをもって晩年を送っていたことを覚えている。
 この総領|子息《むすこ》に比べたら、三番目の妹娘なぞはいくらも分けてもらわない。あの子供らの母さんも、お爺《じい》さんのこころざしで一生着る物に不自由はしなかった。そればかりでなく、どうかするとお爺さんのこころざしは幼い時分の太郎や次郎や三郎のような孫の着る物にまで及んだ。しかし、あの母さんが金で分けてもらって来た話は聞かない。ただ一度、私の前に百円の金を出したことがある。私もまだ山の上のわびしい暮らしをしていた時代で、かなり骨の折れる日を送っていたところへ、今の青山の姪《めい》の父親にあたる私の兄貴《あにき》から、電報で百円の金の無心を受けた。当時兄貴は台湾《たいわん》のほうで、よくよく旅で困りもしたろうが、しかもそれが二度目の無心で、私としてはずいぶん無理な立場に立たせられた。その時、あの母さんが私の心配しているのを見るに見かねて、日ごろだいじにしていた金をそこへ取り出した。これはよくよく夫の困った場合でなければ出すなと言って、お爺《じい》さんがくれてよこしたものとかで、母さんが後にその話を私にしてみせたこともある。あ
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