の往復にも多くの日数がかかり世界大戦争の始まってからはことに事情も通じがたいもどかしさに加えて、三年の月日の間には国のほうで起こった不慮な出来事とか種々の故障とかがいっそう旅を困難にした。私も、外国生活の不便はかねて覚悟して行ったようなものの、旅費のことなぞでそう不自由はしないつもりであった。時には前途の思いに胸がふさがって、さびしさのあまり寝るよりほかの分別《ふんべつ》もなかったことを覚えている。
過去を振り返って見ると、今の私がどうにか不自由もせずに子供らを養って行けるというだけでも、不思議なくらいである。あの子供らの母《かあ》さんの時代のことを思うと、今の借家ずまいでも私には過ぎたものだ。
「富《とみ》とは、生命よりほかの何物でもない。」
この言葉が私を励ました。
私は旅人のような心で、今までどおりのごくあたりまえな生活を続けたかった。家は私の宿屋で、子供らは私の道づれだ。その日、その日に不自由さえなくば、それでこの世の旅は足りる。私に肝要なものは、余生を保障するような金よりも強い足腰の骨であった。
大きくなった子供らと一緒に働くことの新しいよろこび、その考えはどうにか男
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