とり》置いて、毎月六七十円の生活費を産み出すにすら骨が折れた。そのころの私たちは十六円の家賃の家で辛抱《しんぼう》したが、それすら高過ぎると思ったくらいだ。
三年の外国の旅も、私の生涯《しょうがい》の中でのさびしい時であったような気がする。もっとも、その間には、これまで踏んだことのない土を踏み、交わったことのない人にも交わってみ、陰もあり日向《ひなた》もあるのだからその複雑な気持ちはちょっと言葉には尽くせない。実に無造作に、私はあの旅に上《のぼ》って行った。その無造作は、自分の書斎を外国の町に移すぐらいの考えでいた。全く知らない土地に身を置いて見ると、とかく旅の心は落ちつかず、思うように筆も取れない。著作をしても旅を続けられるつもりの私は、かねての約束もその十が一をも果たし得なかった。「これまで外国に来て、著作をしたという人のためしがない。」と言って、ある旅行者に笑われたこともある。でも私は国を出るころから思い立っていた著作の一つだけは、どうにかしてそれを書きあげたいと思ったが、とうとう草稿の半ばで筆を投げてしまった。国への通信を送るぐらいが精いっぱいの仕事であった。それに国との手紙
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