わるがわる訪《たず》ねて来て、よく登って来たのもその二階だ。そこに私は机を置いて、また著作にふけったが、そのころに私の書いたものが子供らの母《かあ》さんの女学校時代の友だちのうわさにも上《のぼ》ったかして、そういう昔なじみの家庭を見に行って帰って来るたびに、いろいろ友だちから冷やかされたことだの、「お富《とみ》さん(子供らの母さん)もずいぶん人がいい、あんなことを書かれて、黙っている細君があるものか。」と言われたことだの、それをあの母さんが私に話してみせた。でも、そういう人は私の書いたものが旧《ふる》い友だちのうわさに上るというだけにも満足して、にわかに自分の夫を見直すような顔つきであったには、私も苦笑せずにはいられなかった。そのころの私が自分の周囲に見いだす著作者たちはと言えば、そのいずれもが新聞社に関係するとか、学校に教鞭《きょうべん》を執るとか、あるいは雑誌の編集にたずさわるとかして、私のように著作一方で立とうとしているのもめずらしいと言われた。私はよくそう思った。これはまだ著作で家族を養えるような時代ではないのだと。私もやせ我慢にやせ我慢を重ねていたが、親子四人に女中を一人《ひ
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