たちに分けてくれるものがある。」
 次郎は、私がめずらしいことを言い出したという顔つきをした。いよいよ私の待っていた日が来た。私は娘にも言った。
「早昼《はやひる》で出かけるぜ。お前もしたくをするがいいぜ。」
 次郎が町のほうへ自動車を約束しに行って帰って来たころに、私も末子も茶の間にいて着物をかえるところであった。出かける時間の都合もあったので、私は昼飯をいつもより早く済ました上で、と思った。
「末ちゃん、羽織《はおり》でも着かえればそれでたくさんなんだよ。きょうは用達《ようたし》に行くんだからね。」
「じゃ、わたしは袴《はかま》にしましょう。」
 私と末子とがしたくをしていると、次郎は朝から仕事着兼帯のような背広服で、自分で着かえる世話もなかったものだから、そこに足を投げ出しながらいろいろなことを言った。
「おい、末ちゃんはそんな袴《はかま》で行くのかい。」
「そうよ。」
 そう答える末子は婆《ばあ》やにまで手伝ってもらわないと、まだ自分ひとりでは幅の広い帯が堅くしめられなかったからで。末子は母さんののこした古い鏡台の前あたりに立って、黒い袴《はかま》の紐《ひも》を結んだが、それが背丈《せたけ》の延びた彼女に似合って見えた。
 次郎は私のほうをもながめながら、
「こうして見ると、とうさんの肩の幅はずいぶん広いな。」
「そりゃ、そうさ。」と私は言った。「ここまでしのいで来たのも、この肩だもの。」
「僕らを四人も背負《しょ》って来たか。」
 次郎は笑った。
 間もなく飯のしたくができた。私たちは婆やのつくってくれた簡単な食事についた。
「きょうは下町のほうへ行って洋食でもおごってもらえるのかと思った。」
 そういう次郎はあてがはずれたように、「なあんだ」と、言わないばかりの顔つきであった。
「用達《ようたし》に行くんじゃないか。そんな遊びに行くんじゃあるまいし。まあとうさんについて来てごらんよ。へたな洋食などより、もっといい事があるから。」
 その時になって、私は初めて分配のことを簡単に二人《ふたり》の子供に話したが、次郎も末子も半信半疑の顔つきであった。

 自動車は坂の上に待っていた。私たちは、家の前の石段から坂の下の通りへ出、崖《がけ》のように勾配《こうばい》の急な路《みち》についてその細い坂を上《のぼ》った。砂利《じゃり》が敷いてあってよけいに歩きにくい。私
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