商人らしいあきらめをもって晩年を送っていたことを覚えている。
 この総領|子息《むすこ》に比べたら、三番目の妹娘なぞはいくらも分けてもらわない。あの子供らの母さんも、お爺《じい》さんのこころざしで一生着る物に不自由はしなかった。そればかりでなく、どうかするとお爺さんのこころざしは幼い時分の太郎や次郎や三郎のような孫の着る物にまで及んだ。しかし、あの母さんが金で分けてもらって来た話は聞かない。ただ一度、私の前に百円の金を出したことがある。私もまだ山の上のわびしい暮らしをしていた時代で、かなり骨の折れる日を送っていたところへ、今の青山の姪《めい》の父親にあたる私の兄貴《あにき》から、電報で百円の金の無心を受けた。当時兄貴は台湾《たいわん》のほうで、よくよく旅で困りもしたろうが、しかもそれが二度目の無心で、私としてはずいぶん無理な立場に立たせられた。その時、あの母さんが私の心配しているのを見るに見かねて、日ごろだいじにしていた金をそこへ取り出した。これはよくよく夫の困った場合でなければ出すなと言って、お爺《じい》さんがくれてよこしたものとかで、母さんが後にその話を私にしてみせたこともある。あの母さんは六人の姉妹《きょうだい》の中で、いちばんお爺《じい》さんの秘蔵娘であったという。その人ですらそうだ。ああいう場合を想《おも》ってみると、娘に薄くしても総領|子息《むすこ》に厚くとは、やはり函館のお爺さんなぞの考えたことであったらしい。あの母さんのように、困った夫の前へ、ありったけの金を取り出すような場合は別としても、もっと女の生活が経済的にも保障されていたなら、と今になって私も思い当たることがいろいろある。
「娘のしたくは、こんなことでいいのか。」
 私も、そこへ気づいた。やはり男の兄弟《きょうだい》に分けられるだけのものは、あの末子にも同じように分けようと思い直した。私も二万とまとまったものを持ったことのない証拠には、こんなに金のことを考えてしまった。やがて、一枚の小切手が約束の三十日より二日《ふつか》も早く私の手もとへ届いた。私はそれを適当に始末してしまうまでは安心しなかった。

「次郎ちゃん、きょうはお前と末ちゃんを下町《したまち》のほうへ連れて行く。自動車を一台頼んで来ておくれ。」
「とうさん、どこへ行くのさ。」
「まあ、とうさんについて来て見ればわかる。きょうはお前
前へ 次へ
全20ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング