から3字下げ]『五月雨や色紙へぎたる壁の跡』
 かういふ句となつて形をとるまでには、芭蕉の情熱を何程抑へに抑へたものであるやも知れぬ。
 芭蕉には全く宗教に行かうとした時もあつたらしい。
『かく言へばとて、ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡をかくさんとにはあらず。やゝ病身人に倦みて世をいとひし人に似たり。つら/\年月のうつりこし拙き身の科をおもふに、ある時は仕官懸命の地を羨み、一たびは佛籬祖室の扉に入らんとせしも、たよりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を勞して暫く生涯のはかりごととさへなれば、終には無能無才にして此一筋につながる。樂天は五臟の神を破り老杜は痩せたり。賢愚文質のひとしからざるも、いづれか幻のすみかならずや、とおもひ捨てゝ臥しぬ。』
 こゝに引いたのは『猿簑』の卷の六にある『幻住庵の記』の終の部分だ。其角が『この道のおもて起すべき時なれや』と言つた『猿簑』句集のエピロオグとも言ふべきものの一節だ。
 幻住庵は菅沼曲水の伯父にあたる幻住老人といふ僧の住んだ草庵で、そこに芭蕉はしばらく住んだといふことが、あの記文の中に書いてある。さういふ歴史は兎に角、私はあの幻住庵を芭蕉の生活の奧の方
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