とであつた。それを見つけた時に一部の佛蘭西人の中には芭蕉の名が傳へられて居ることを知つた、尤もあのカミイユ・モウクレエルといふやうな人が、どうして芭蕉を知つたかといふことは、一寸私には想像がつかない。

『笈の小文』、『奧の細道』などの旅行記が何度繰返して讀んでも飽きないことは今更こゝに言ふまでもないが、芭蕉が去來の落柿舍で書いたといふ『嵯峨日記』に私は特別の興味を覺える。芭蕉の日常生活の消息があの簡淨な日記の中によく窺はれるやうな氣がする。
 あの中に、『獨り住むほど面白きはなし』などと言ひながら、羽紅夫婦をとめて五人で一張の蚊屋に寢るほど人懷こい芭蕉が居る。一つの蚊屋に五人では眠られなくて、皆夜半過から起きて、菓子を食ひながら曉近くまで話したといふことなぞが書いてある。その前の年に芭蕉が凡兆の家で泊つた時は、二疊の蚊屋に四ヶ國の人が寢て、思ふことが四つで、夢もまた四種と書いたと言出して、皆を笑はせたといふことなぞも出て居る。それからまたあの日記の中には百日程行脚を共にした杜國の死を夢に言出して、啜泣きして眼が覺めたといふ Passionate な芭蕉の性質もあらはれてゐる。
[#天
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