愛に對する孤獨な人の心も書きつけてある。
[#天から3字下げ]『あさがほや晝は鎖おろす門の垣』
この孤獨と、沈默と修道者のやうな苦しみとは、何を芭蕉の生涯に齎したらう。其角が『猿簑』の序文に書いたやうな俳諧にたましひを入れるといふ幻術は、あるひはそこから生れて來たのかも知れない。芭蕉の藝術が、印象派風な蕪村の藝術とは違つて、soul の藝術とも呼んで見たいのは矢張そこから來て居るのかも知れない。しかし芭蕉が五十一歳ぐらゐで此の世を去つたといふことと、この『閉關の説』にも出て居るやうな獨身獨居で形骸を苦しめたといふことと、その間には深い關係のないものだらうか。
[#天から3字下げ]『數らぬ身とな思ひそ玉祭』
私はあの句の心をあはれむ。
芭蕉の散文には何とも言つて見やうのない美しいリズムが流れて居る。曾て私は長谷川二葉亭氏が文品の最も高いものとして芭蕉の散文を擧げたのをある雜誌で讀んだ時に、うれしく思つたことを覺えてゐる。
全く思ひがけなかつたのは、私が巴里に居る頃、※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ルレエヌに芭蕉を比較した一節をカミイユ・モウクレエルの著述の中に見つけたこ
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