い此頃も馬場君が見えた時に、私はこのことを同君に話して、それからあの芭蕉の藝術の底に籠る香氣の高い情熱に就いて語り合つたこともあつた。
『四十ぐらいの時に、芭蕉はもう翁といふ氣分で居たんだね。』
と、馬場君も言つて居た。もつとあの人が長く生きて居たらどんな詩の境地が展けて行つたらう、といふやうな話も私達の間に出た。
兎に角、私の心の驚きは今日まで自分の胸に描いて來た芭蕉の心像を十年も二十年も若くした。さう思つてもう一度芭蕉の全集をあけて見ると、『冬の日』の出來たのは芭蕉が四十歳になつたばかりの頃だとあるし、『曠野』の出來たのが四十五歳の頃だとある。『猿簑』の選ばれた頃ですら、芭蕉は四十八九歳の人だ。芭蕉の藝術はそれほど年老いた人の手に成つたものではなくて、實は中年の人から生れて來た抑へに抑へた藝術であると言はねばならない。
芭蕉が『閉關の説』に曰く、
『色は君子の惡《にく》むところにして、佛も五戒のはじめに置くといへども、流石に捨てがたき情のあやにくに哀なるかた/″\も多かるべし。人しれぬくらぶの山の梅の下ぶしに思ひの外の匂ひにしみて、忍ぶの岡の人目の關ももる人なくばいかなる過ち
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