琵琶湖の畔が、その昔蕉門の詩人等の歩いた場所と違つた感じのものであるやを言ふことは出來ない。しかしあの旅も私に取つては芭蕉に對する感銘を深くさせた。
少年時代から私の胸に描いて居た芭蕉は、一口に言へば尊い『老年』であつた。私はつい近頃まで芭蕉といふ人のことを想像する度に、非常に年とつた人のやうに思つて居た。その晩年は、人として到達し得る最後の尊い境地の一つだといふ風に考へて居た。
こゝにも先入主となつた印象が今だに私の上に働いて居ることを感ずる。私があの湖十の編纂した芭蕉の『一葉集』を手にしたのは、まだ白金の明治學院に通つて居たほどの學生時代であつた。私が年少であればあるだけ、あの老成な紀行文なぞを書いた芭蕉が非常に年とつた人であるといふ想像を浮べずには居られなかつた。けれども是は自分が若かつた年頃に芭蕉を知つたといふばかりではなくかうした先入主となつた印象を強めるかず/″\のものが、他にもあつたと思ふ。實際三十一歳で既に髮を薙いでしまつて自ら風羅坊と稱したほどの人から、貧士竹齋に似て居ると言つて自ら狂句まで作つたほどの人から、大抵のものの受ける感じはあの笠翁といふ人の描いた芭蕉
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