ために、一篇の『幻住庵の記』を作つたと言つてもいゝやうな氣がする。かうした幻想が見たところ寫實的な芭蕉の藝術の奧にあるもので印象派風な蕪村や、現實的でそしてプリミテイブな味の籠つた一茶の藝術などに感じられないものだと思ふ。

 北村透谷君にも松島へ行つて芭蕉を追想した文章があつた。俳諧の宗匠たる身で句を成さずに松島から引返したといふことは恐らく芭蕉の當時にあつて非常に不名譽であると思はねば成らないが、無言のまゝであの自然に對して來た芭蕉の姿が反《かへ》つてなつかしいといふのが、松島に遊んだ時の北村君の話であつた。北村君は芭蕉に寄せて、silence といふことに就いて書いたが、あれは特色の深い文章であつた。

 多くの人の生涯を見るに、その人の出發したところと歸着したところとは餘程違つて見える場合が多い。宗房と言つた時代もある芭蕉が涙の多い五十年の生涯を送つて、『炭俵』の詩の境地まで屈せず撓まず歩きつゞけて行つたといふことは、餘程の精神力に富んだ人と思はざるを得ない。

 芭蕉の弟子達によつて書かれた『花屋の日記』は芭蕉が臨終の記録として、吾國の文學の中でも稀に見るほどパセチツクなもの
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