だ。私は『枯尾花』にある其角の追悼の文章よりも、はるかに『花屋の日記』を愛する。あの日記の中には、弟子達の性格が躍動して居るばかりでなく、それらの人達に圍繞《とりま》かれながら嚴肅な死を死んで行つた芭蕉の姿が眼に見えるやうによくあらはれて居る。あの中には簡素な生活に甘んじて來た芭蕉が、弟子達のこゝろざしとあつて、皆の造つてすゝめた、『やはらかもの』の袖に手を通すところがある。あの中にはまた、病んだ芭蕉が弟子達に助けられて、日あたりの好い縁側にすべり出て、障子に飛びかふ蠅を眺めるさびしい光景が書いてある。
いづれにしても私は今まであまりに芭蕉といふ人を年寄扱ひにし過ぎて居たやうな氣がする。あまりに仙人扱ひにし過ぎて居たやうな氣もする。もつと血の氣の通《かよ》つた人を見つけねばならない。そこからあの抑制した藝術を味ひ直して見ねば成らない。
この考へ方から行くと、私は芭蕉翁桃青といふ人の肖像をそんな枯淡なものでなくて、もつと別のものに描かれたのを見たい。假令道服に似たやうなものを着け、隱者のやうな頭巾を冠つて居ても、その人の頬は若々しく、その人の眼には青年のやうな輝きのある肖像として見
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