る》の後、生徒の監督を他の教師に任せて置いて、丑松は後仕末をする為に職員室に留つた。其となく返すものは返す、調べるものは調べる、後になつて非難を受けまいと思へば思ふほど、心の※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]惶《あわたゞ》しさは一通りで無い。職員室の片隅には、手の明いた教員が集つて、寄ると触《さは》ると法福寺の門前にあつた出来事の噂《うはさ》。蓮太郎の身を捨てた動機に就いても、種々《さま/″\》な臆測が言ひはやされる。あるものは過度の名誉心が原因《もと》だらうと言ひ、あるものは生活《くらし》に究《つま》つた揚句だらうと言ひ、あるものは又、精神に異状を来して居たのだらうといふ。まあ、十人が十色のことを言つて、誹《けな》したり謗《くさ》したりする、稀《たま》に蓮太郎の精神を褒《ほ》めるものが有つても、寧ろ其を肺病の故《せゐ》にして了《しま》つた。聞くともなしに丑松は人々の噂を聞いて、到底誤解されずに済《す》む世の中では無いといふことを思ひ知つた。『黙つて狼のやうに男らしく死ね』――あの先輩の言葉を思出した時は、悲しかつた。
午後の課目は地理と国語とであつた。五時間目には、国語の教科書の外に、予《かね》て生徒から預つて置いた習字の清書、作文の帳面、そんなものを一緒に持つて教室へ入つたので、其と見た好奇《ものずき》な少年はもう眼を円くする。『ホウ、作文が刪正《なほ》つて来た。』とある生徒が言つた。『図画も。』と又。丑松はそれを自分の机の上に載せて、例のやうに教科書の方へ取掛つたが、軈《やが》て平素《いつも》の半分ばかりも講釈したところで本を閉ぢて、其日はもう其で止めにする、それから少許《すこし》話すことが有る、と言つて生徒一同の顔を眺め渡すと、『先生、御話ですか。』と気の早いものは直に其を聞くのであつた。
『御話、御話――』
と請求する声は教室の隅から隅までも拡《ひろが》つた。
丑松の眼は輝いて来た。今は我知らず落ちる涙を止《とゞ》めかねたのである。其時、習字やら、図画やら、作文の帳面やらを生徒の手に渡した。中には、朱で点を付けたのもあり、優とか佳とかしたのもあつた。または、全く目を通さないのもあつた。丑松は先づ其詑《そのわび》から始めて、刪正《なほ》して遣《や》りたいは遣りたいが、最早《もう》其を為《す》る暇が無いといふことを話し、斯うして一緒に稽古を為るのも実は今日限りであるといふことを話し、自分は今|別離《わかれ》を告げる為に是処《こゝ》に立つて居るといふことを話した。
『皆さんも御存じでせう。』と丑松は噛んで含めるやうに言つた。『是《この》山国に住む人々を分けて見ると、大凡《おおよそ》五通りに別れて居ます。それは旧士族と、町の商人と、お百姓と、僧侶《ばうさん》と、それからまだ外に穢多といふ階級があります。御存じでせう、其穢多は今でも町はづれに一団《ひとかたまり》に成つて居て、皆さんの履《は》く麻裏《あさうら》を造《つく》つたり、靴や太鼓や三味線等を製《こしら》へたり、あるものは又お百姓して生活《くらし》を立てゝ居るといふことを。御存じでせう、其穢多は御出入と言つて、稲を一束づゝ持つて、皆さんの父親《おとつ》さんや祖父《おぢい》さんのところへ一年に一度は必ず御機嫌伺ひに行きましたことを。御存じでせう、其穢多が皆さんの御家へ行きますと、土間のところへ手を突いて、特別の茶椀で食物《くひもの》なぞを頂戴して、決して敷居から内部《なか》へは一歩《ひとあし》も入られなかつたことを。皆さんの方から又、用事でもあつて穢多の部落へ御出《おいで》になりますと、煙草《たばこ》は燐寸《マッチ》で喫《の》んで頂いて、御茶は有《あり》ましても決して差上げないのが昔からの習慣です。まあ、穢多といふものは、其程|卑賤《いや》しい階級としてあるのです。もし其穢多が斯《こ》の教室へやつて来て、皆さんに国語や地理を教へるとしましたら、其時皆さんは奈何思ひますか、皆さんの父親《おとつ》さんや母親《おつか》さんは奈何《どう》思ひませうか――実は、私は其|卑賤《いや》しい穢多の一人です。』
手も足も烈しく慄《ふる》へて来た。丑松は立つて居られないといふ風で、そこに在る机に身を支へた。さあ、生徒は驚いたの驚かないのぢやない。いづれも顔を揚げたり、口を開いたりして、熱心な眸《ひとみ》を注いだのである。
『皆さんも最早《もう》十五六――万更《まんざら》世情《ものごゝろ》を知らないといふ年齢《とし》でも有ません。何卒《どうぞ》私の言ふことを克《よ》く記憶《おぼ》えて置いて下さい。』と丑松は名残惜《なごりを》しさうに言葉を継《つ》いだ。
『これから将来《さき》、五年十年と経つて、稀《たま》に皆さんが小学校時代のことを考へて御覧なさる時に――あゝ、あの高等四年の教室で、瀬川といふ教員に習つたことが有つたツけ――あの穢多の教員が素性を告白《うちあ》けて、別離《わかれ》を述べて行く時に、正月になれば自分等と同じやうに屠蘇《とそ》を祝ひ、天長節が来れば同じやうに君が代を歌つて、蔭ながら自分等の幸福《しあはせ》を、出世を祈ると言つたツけ――斯《か》う思出して頂きたいのです。私が今|斯《か》ういふことを告白《うちあ》けましたら、定めし皆さんは穢《けがらは》しいといふ感想《かんじ》を起すでせう。あゝ、仮令《たとひ》私は卑賤《いや》しい生れでも、すくなくも皆さんが立派な思想《かんがへ》を御持ちなさるやうに、毎日其を心掛けて教へて上げた積りです。せめて其の骨折に免じて、今日迄《こんにちまで》のことは何卒《どうか》許して下さい。』
斯《か》う言つて、生徒の机のところへ手を突いて、詑入《わびい》るやうに頭を下げた。
『皆さんが御家へ御帰りに成りましたら、何卒《どうぞ》父親《おとつ》さんや母親《おつか》さんに私のことを話して下さい――今迄|隠蔽《かく》して居たのは全く済《す》まなかつた、と言つて、皆さんの前に手を突いて、斯うして告白《うちあ》けたことを話して丁さい――全く、私は穢多です、調里です、不浄な人間です。』
と斯う添加《つけた》して言つた。
丑松はまだ詑び足りないと思つたか、二歩三歩《ふたあしみあし》退却《あとずさり》して、『許して下さい』を言ひ乍ら板敷の上へ跪《ひざまづ》いた。何事かと、後列の方の生徒は急に立上つた。一人立ち、二人立ちして、伸《の》しかゝつて眺めるうちに、斯の教室に居る生徒は総立に成つて、あるものは腰掛の上に登る、あるものは席を離れる、あるものは廊下へ出て声を揚げ乍ら飛んで歩いた。其時大鈴の音が響き渡つた。教室々々の戸が開いた。他の組の生徒も教師も一緒になつて、波濤《なみ》のやうに是方《こちら》へ押溢《おしあふ》れて来た。
* * *
十二月に入つてから銀之助は最早《もう》客分であつた。其日は午後の一時半頃から、自分の用事で学校へ出て来て居て、丁度職員室で話しこんで居る最中、不図丑松のことを耳に入れた。思はず銀之助はそこを飛出した。玄関を横過《よこぎ》つて、長い廊下を通ると、肩掛に紫頭巾《むらさきづきん》、帰り仕度の女生徒、あそこにも、こゝにも、丑松の噂を始めて、家路に向ふことを忘れたかのやう。体操場には男の生徒が集つて、話は矢張丑松の噂で持切つて居た。左右に馳違《はせちが》ふ少年の群を分けて、高等四年の教室へ近いて見ると、廊下のところに校長、教師五六人、中に文平も、其他高等科の生徒が丑松を囲繞《とりま》いて、参観に来た師範校の生徒まで呆《あき》れ顔《がほ》に眺め佇立《たゝず》んで居たのである。見れば丑松はすこし逆上《とりのぼ》せた人のやうに、同僚の前に跪《ひざまづ》いて、恥の額を板敷の塵埃《ほこり》の中に埋めて居た。深い哀憐《あはれみ》の心は、斯《こ》の可傷《いたま》しい光景《ありさま》を見ると同時に、銀之助の胸を衝《つ》いて湧上《わきあが》つた。歩み寄つて、助け起し乍ら、着物の塵埃《ほこり》を払つて遣ると、丑松は最早半分夢中で、『土屋君、許して呉れ給へ』をかへすがへす言ふ。告白の涙は奈何《どんな》に丑松の頬を伝つて流れたらう。
『解つた、解つた、君の心地《こゝろもち》は好く解つた。』と銀之助は言つた。『むむ――進退伺も用意して来たね。兎《と》に角《かく》、後の事は僕に任せるとして、君は直に是《これ》から帰り給へ――ね、君は左様《さう》し給へ。』
(七)
高等四年の生徒は教室に居残つて、日頃慕つて居る教師の為に相談の会を開いた。未《ま》だ初心《うぶ》で、複雑《こみい》つた社会《よのなか》のことは一向解らないものばかりの集合《あつまり》ではあるが、流石《さすが》正直なは少年の心、鋭い神経に丑松の心情《こゝろもち》を汲取つて、何とかして引止める工夫をしたいと考へたのである。黙つて視て居る時では無い、一同揃つて校長のところへ歎願に行かう、と斯う十六ばかりの級長が言出した。賛成の声が起る。
『さあ、行かざあ。』
と農夫の子らしい生徒が叫んだ。
相談は一決した。例の掃除をする為に、当番のものだけを残して置いて、少年の群は一緒に教室を出た。其中には省吾も交つて居た。丁度校長は校長室の倚子《いす》に倚凭《よりかゝ》つて、文平を相手に話して居るところで、そこへ高等四年の生徒が揃つて顕《あらは》れた時は、直に一同の言はうとすることを看て取つたのである。
『諸君は何か用が有るんですか。』
と、しかし、校長は何気ない様子を装《つくろ》ひ乍《なが》ら尋ねた。
級長は卓子《テーブル》の前に進んだ。校長も、文平も、凝《きつ》と鋭い眸をこの生徒の顔面《おもて》に注いだ。省吾なぞから見ると、ずつと夙慧《ませ》た少年で、言ふことは了然《はつきり》好く解る。
『実は、御願ひがあつて上りました。』と前置をして、級長は一同の心情《こゝろもち》を表白《いひあらは》した。何卒《どうか》して彼の教員を引留めて呉れるやうに。仮令《たとへ》穢多であらうと、其様《そん》なことは厭《いと》はん。現に生徒として新平民の子も居る。教師としての新平民に何の不都合があらう。是はもう生徒一同の心からの願ひである。頼む。斯う述べて、級長は頭を下げた。
『校長先生、御願ひでごはす。』
と一同声を揃へて、各自《てんで》に頭を下げるのであつた。
其時校長は倚子を離れた。立つて一同の顔を見渡し乍ら、『むゝ、諸君の言ふことは好く解りました。其程熱心に諸君が引留めたいといふ考へなら、そりやあもう我輩だつて出来るだけのことは尽します。しかし物には順序がある。頼みに来るなら、頼みに来るで、相当の手続を踏んで――総代を立てるとか、願書を差出すとかして、規則正しくやつて来るのが礼です。左様どうも諸君のやうに、大勢一緒に押掛けて来て、さあ引留めて呉れなんて――何といふ無作法な行動《やりかた》でせう。』と言はれて、級長は何か弁解《いひわけ》を為《し》ようとしたが、軈《やが》て涙ぐんで黙つて了つた。
『まあ、御聞きなさい。』と校長は卓子《テーブル》の上にある書面《かきつけ》を拡《ひろ》げて見せ乍ら、『是通り瀬川先生からは進退伺が出て居ます。是《これ》は一応郡視学の方へ廻さなければなりませんし、町の学務委員にも見せなければなりません。仮令《たとひ》我輩が瀬川先生を救ひたいと思つて、単独《ひとり》で焦心《あせ》つて見たところで、町の方で聞いて呉れなければ仕方が無いぢや有ませんか。』と言つて、すこし声を和げて、『然し、我輩一人の力で、奈何《どう》是《これ》を処置するといふ訳にもいかんのですから、そこを諸君も好く考へて下さい。彼様《あゝ》いふ良い教師を失ふといふことは、諸君ばかりぢやない、我輩も残念に思ふ。諸君の言ふことは好く解りました。兎に角、今日は是で帰つて、学課を怠らないやうにして下さい。諸君が斯ういふことに喙《くちばし》を容《い》れないでも、無論学校の方で悪いやうには取計ひません――諸君は勉強が第一です。』
文平は腕組をして聞いて居た。手持無沙汰に帰つて行
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