から、其様な無責任なことを言ふ筈《はず》も有ません。』
『代議士にでも?』
『ホラ。』
『ぢやあ、あの新しい細君を連れて帰つて来た人ぢや有ませんか。』
『まあ、そこいらです。』
『して見ると――はゝあ、あの先生が地方廻りでもして居る間に、何処かで其様な話を聞込んで来たものかしら。悪い事は出来ないものさねえ。いつか一度は露顕《あらは》れる時が来るから奇体さ。』と言つて、校長は嘆息して、『しかし、驚ろいたねえ。瀬川君が穢多だなぞとは、夢にも思はなかつた。』
『実際、私も意外でした。』
『見給へ、彼《あ》の容貌《ようばう》を。皮膚といひ、骨格といひ、別に其様な賤民らしいところが有るとも思はれないぢやないか。』
『ですから世間の人が欺《だま》されて居たんでせう。』
『左様ですかねえ。解らないものさねえ。一寸見たところでは、奈何《どう》しても其様な風に受取れないがねえ。』
『容貌ほど人を欺すものは有ませんさ。そんなら、奈何でせう、彼《あ》の性質は。』
『性質だつても君、其様な判断は下せない。』
『では、校長先生、彼の君の言ふこと為《な》すことが貴方の眼には不思議にも映りませんか。克《よ》く注意して、瀬川丑松といふ人を御覧なさい――どうでせう、彼《あ》の物を視る猜疑深《うたがひぶか》い目付なぞは。』
『はゝゝゝゝ、猜疑深いからと言つて、其が穢多の証拠には成らないやね。』
『まあ、聞いて下さい。此頃迄《こなひだまで》瀬川君は鷹匠《たかしやう》町の下宿に居ましたらう。彼《あ》の下宿で穢多の大尽が放逐されましたらう。すると瀬川君は突然《だしぬけ》に蓮華寺へ引越して了ひましたらう――ホラ、をかしいぢや有ませんか。』
『それさ、それを我輩も思ふのさ。』
『猪子蓮太郎との関係だつても左様《さう》でせう。彼様《あん》な病的な思想家ばかり難有《ありがた》く思はないだつて、他にいくらも有さうなものぢや有ませんか。彼様な穢多の書いたものばかり特に大騒ぎしなくても好ささうなものぢや有ませんか。どうも瀬川君が贔顧《ひいき》の仕方は普通の愛読者と少許《すこし》違ふぢや有ませんか。』
『そこだ。』
『未《ま》だ校長先生には御話しませんでしたが、小諸《こもろ》の与良《よら》といふ町には私の叔父が住んで居ます。其町はづれに蛇堀川《じやぼりがは》といふ沙河《すながは》が有まして、橋を渡ると向町になる――そこが所謂《いはゆる》穢多町です。叔父の話によりますと、彼処は全町同じ苗字を名乗つて居るといふことでしたツけ。其苗字が、確か瀬川でしたツけ。』
『成程ねえ。』
『今でも向町の手合は苗字を呼びません。普通に新平民といへば名前を呼捨です。おそらく明治になる前は、苗字なぞは無かつたのでせう。それで、戸籍を作るといふ時になつて、一村|挙《こぞ》つて瀬川と成つたんぢや有るまいかと思ふんです。』
『一寸待ちたまへ。瀬川君は小諸の人ぢや無いでせう。小県《ちひさがた》の根津の人でせう。』
『それが宛《あて》になりやしません――兎に角、瀬川とか高橋とかいふ苗字が彼《あ》の仲間に多いといふことは叔父から聞きました。』
『左様言はれて見ると、我輩も思当ることが無いでも無い。しかしねえ、もし其が事実だとすれば、今迄知れずに居る筈も無からうぢやないか。最早《もう》疾《とつく》に知れて居さうなものだ――師範校に居る時代に、最早知れて居さうなものだ。』
『でせう――それそこが瀬川君です。今日《こんにち》まで人の目を暗《くらま》して来た位の智慧《ちゑ》が有るんですもの、余程|狡猾《かうくわつ》の人間で無ければ彼《あ》の真似は出来やしません。』
『あゝ。』と校長は嘆息して了つた。『それにしても、よく知れずに居たものさ、どうも瀬川君の様子がをかしい/\と思つたよ――唯、訳も無しに、彼様《あゝ》考へ込む筈《はず》が無いからねえ。』
 急に大鈴の音が響き渡つた。二人は壁を離れて、長い廊下を歩き出した。午後の課業が始まると見え、男女の生徒は上草履鳴らして、廊下の向ふのところを急いで通る。丑松も少年の群に交り乍ら、一寸|是方《こちら》を振向いて見て行つた。
『勝野君。』と校長は丑松の姿を見送つて、『成程《なるほど》、君の言つた通りだ。他《ひと》の一生の名誉にも関はることだ。まあ、もうすこし瀬川君の秘密を探つて見ることに為《し》ようぢやないか。』
『しかし、校長先生。』と文平は力を入れて言つた。『是話が彼の代議士の候補者から出たといふことだけは決して他《ひと》に言はないで置いて下さい――さもないと、私が非常に迷惑しますから。』
『無論さ。』

       (四)

 時間表によると、其日の最終《をはり》の課業が唱歌であつた。唱歌の教師は丑松から高等四年の生徒を受取つて、足拍子揃へさして、自分の教室の方へ導いて行つた。二時から三時まで、それだけは丑松も自由であつたので、不図、蓮太郎のことが書いてあつたとかいふ昨日の銀之助の話を思出して、応接室を指して急いで行つた。いつも其机の上には新聞が置いてある。戸を開けて入つて見ると、信毎は一昨日の分も残つて、まだ綴込みもせずに散乱《とりちら》した儘。その読みふるしを開けた第二面の下のところに、彼の先輩のことを見つけた時は、奈何《どんな》に丑松も胸を踊らせて、『むゝ――あつた、あつた』と驚き喜んだらう。
『何処へ行つて是《この》新聞を読まう。』先づ心に浮んだは斯うである。『斯《こ》の応接室で読まうか。人が来ると不可《いけない》。教室が可《いゝ》か。小使部屋が可か――否、彼処へも人が来ないとは限らない。』と思ひ迷つて、新聞紙を懐に入れて、応接室を出た。『いつそ二階の講堂へ行つて読め。』斯う考へて、丑松は二階へ通ふ階段を一階づゝ音のしないやうに上つた。
 そこは天長節の式場に用ひられた大広間、長い腰掛が順序よく置並べてあるばかり、平素《ふだん》はもう森閑《しんかん》としたもので、下手な教室の隅なぞよりは反つて安全な場処のやうに思はれた。とある腰掛を択《えら》んで、懐から取出して読んで居るうちに、いつの間にか彼の高柳との間答――『懇意でも有ません、関係は有ません、何にも私は知りません』と三度迄も心を偽つて、師とも頼み恩人とも思ふ彼の蓮太郎と自分とは、全く、赤の他人のやうに言消して了つたことを思出した。『先生、許して下さい。』斯《か》う詑《わ》びるやうに言つて、軈《やが》て復《ま》た新聞を取上げた。
 漠然《ばくぜん》とした恐怖《おそれ》の情は絶えず丑松の心を刺激して、先輩に就いての記事を読み乍らも、唯もう自分の一生のことばかり考へつゞけたのであつた。其から其へと辿つて反省すると、丑松は今、容易ならぬ位置に立つて居るといふことを感ずる。さしかゝつた斯の大きな問題を何とか為なければ――左様《さう》だ、何とか斯《こ》の思想《かんがへ》を纏めなければ、一切の他の事は手にも着かないやうに思はれた。
『さて――奈何《どう》する。』
 斯う自分で自分に尋ねた時は、丑松はもう茫然《ばうぜん》として了《しま》つて、其答を考へることが出来なかつた。
『瀬川君、何を君は御読みですか。』
 と唐突《だしぬけ》に背後《うしろ》から声を掛けた人がある。思はず丑松は顔色を変へた。見れば校長で、何か穿鑿《さぐり》を入れるやうな目付して、何時の間にか腰掛のところへ来て佇立《たゝず》んで居た。
『今――新聞を読んで居たところです。』と丑松は何気ない様子を取装《とりつくろ》つて言つた。
『新聞を?』と校長は不思議さうに丑松の顔を眺めて、『へえ、何か面白い記事《こと》でも有ますかね。』
『ナニ、何でも無いんです。』
 暫時《しばらく》二人は無言であつた。校長は窓の方へ行つて、玻璃越《ガラスご》しに空の模様を覗《のぞ》いて見て、
『瀬川君、奈何でせう、斯の御天気は。』
『左様ですなあ――』
 斯ういふ言葉を取交し乍ら、二人は一緒に講堂を出た。並んで階段を下りる間にも、何となく丑松は胸騒ぎがして、言ふに言はれぬ不快な心地《こゝろもち》に成るのであつた。
 邪推かは知らないが、どうも斯《こ》の校長の態度《しむけ》が変つた。妙に冷淡《しら/″\》しく成つた。いや、冷淡しいばかりでは無い、可厭《いや》に神経質な鼻でもつて、自分の隠して居る秘密を嗅ぐかのやうにも感ぜらるゝ。『や?』と猜疑深《うたぐりぶか》い心で先方《さき》の様子を推量して見ると、さあ、丑松は斯の校長と一緒に並んで歩くことすら堪へ難い。どうかすると階段を下りる拍子に、二人の肩と肩とが触合《すれあ》ふこともある。冷《つめた》い戦慄《みぶるひ》は丑松の身体を通して流れ下るのであつた。
 小使が振鳴らす最終《をはり》の鈴の音は、其時、校内に響き渡つた。そここゝの教室の戸を開けて、後から/\押して出て来る少年の群は、長い廊下に満ち溢《あふ》れた。丑松は校長の側を離れて、急いで斯の少年の群に交つた。
 やがて生徒は雪道の中を帰つて行つた。いづれも学問する児童《こども》らしい顔付の殊勝さ。弁当箱を振廻して行くもあれば、風呂敷包を頭の上に戴《の》せて行くもある。十露盤《そろばん》小脇に擁《かゝ》へ、上草履提げ、口笛を吹くやら、唱歌を歌ふやら。呼ぶ声、叫ぶ声は、犬の鳴声に交つて、午後の空気に響いて騒しく聞える、中には下駄の鼻緒を切らして、素足で飛んで行く女の児もあつた。
 不安と恐怖との念《おもひ》を抱き乍ら、丑松も生徒の後に随いて、学校の門を出た。斯《か》うしてこの無邪気な少年の群を眺めるといふことが、既にもう丑松の身に取つては堪へがたい身の苦痛《くるしみ》を感ずる媒《なかだち》とも成るので有る。
『省吾さん、今御帰り?』
 斯う丑松は言葉を掛けた。
『はあ。』と省吾は笑つて、『私《わし》も後刻《あと》で蓮華寺へ行きやすよ、姉さんが来ても可《いゝ》と言ひやしたから。』
『むゝ――今夜は御説教があるんでしたツけねえ。』
 と思出したやうに言つた。暫時《しばらく》丑松は可懐《なつか》しさうに、駈出して行く省吾の後姿を見送りながら立つた。雪の大路の光景《ありさま》は、丁度、眼前《めのまへ》に展《ひら》けて、用事ありげな人々が往つたり来たりして居る。急に烈しい眩暈《めまひ》に襲《おそ》はれて、丑松は其処へ仆《たふ》れかゝりさうに成つた。其時、誰か斯《か》う背後《うしろ》から追迫つて来て、自分を捕《つかま》へようとして、突然《だしぬけ》に『やい、調里坊《てうりツぱう》』とでも言ふかのやうに思はれた。斯う疑へば恐しくなつて、背後を振返つて見ずには居られなかつたのである――あゝ、誰が其様なところに居よう。丑松は自分を嘲《あざけ》つたり励ましたりした。


   第拾五章

       (一)

 酷烈《はげ》しい、犯し難い社会《よのなか》の威力《ちから》は、次第に、丑松の身に迫つて来るやうに思はれた。学校から帰へつて、蓮華寺の二階へ上つた時も、風呂敷包をそこへ投出《はふりだ》す、羽織袴を脱捨てる、直に丑松は畳の上に倒れて、放肆《ほしいまゝ》な絶望に埋没《うづも》れるの外は無かつた。眠るでも無く、考へるでも無く、丁度無感覚な人のやうに成つて、長いこと身動きも為《せ》ずに居たが、軈《やが》て起直つて部屋の内を眺め廻した。
 楽しさうな笑声が、蔵裏《くり》の下座敷の方から、とぎれ/\に聞えた。聞くとも無しに聞耳を立てると、其日も亦《ま》た文平がやつて来て、人々を笑はせて居るらしい。あの邪気《あどけ》ない、制《おさ》へても制へきれないやうな笑声は、と聞くと、省吾は最早《もう》遊びに来て居るものと見える。時々若い女の声も混つた――あゝ、お志保だ。斯《か》う聞き澄まして、丑松は自分の部屋の内を歩いて見た。
『先生。』
 と声を掛けて、急に入つて来たのは省吾である。
 丁度、階下《した》では茶を入れたので、丑松にも話しに来ないか、と省吾は言付けられて来た。聞いて見ると、奥様やお志保は下座敷に集つて、そこへ庄馬鹿までやつて来て居る。可笑《をか》しい話が始つたので、人々は皆な笑ひ転げて、中にはもう泣
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