輩は君、これでも真面目なんだよ。』と敬之進は、額と言はず、頬と言はず、腮《あご》と言はず、両手で自分の顔を撫で廻した。『どうでせう、省吾の奴も君の御厄介に成つてるが、彼様《あん》な風で物に成りませうか。もう少許《すこし》活溌だと好いがねえ。どうも女のやうな気分の奴で、泣易くて困る。平素《しよツちゆう》弟に苦《いぢ》められ通しだ。同じ自分の子で、どれが可愛くて、どれが憎いといふことは有さうも無ささうなものだが、それがそれ、妙なもので、我輩は彼の省吾が可愛さうでならない。彼の通り弱いものだから、其丈《それだけ》哀憐《あはれみ》も増すのだらうと思ふね。家内はまた弟の進|贔顧《びいき》。何ぞといふと、省吾の方を邪魔にして、無暗《むやみ》に叱るやうなことを為る。そこへ我輩が口を出すと、前妻《せんさい》の子ばかり可愛がつて進の方は少許《ちつと》も関《かま》つて呉れんなんて――直に邪推だ。だからもう我輩は何にも言はん。家内の為る通りに為せて、黙つて見て居るのさ。成るべく家内には遠ざかるやうにして、密《そつ》と家《うち》を抜け出して来ては、独りで飲むのが何よりの慰藉《たのしみ》だ。稀《たま》に我輩が何
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