も膝を進める。
『昨夜《ゆうべ》は僕の枕頭《まくらもと》へも来た。慣《な》れなければ、鼠だつて気味が悪いぢやないか。あまり不思議だから、今朝其話をしたら、奥様の言草が面白い。猫を飼つて鼠を捕らせるよりか、自然に任せて養つてやるのが慈悲だ。なあに、食物《くひもの》さへ宛行《あてが》つて遣《や》れば、其様《そんな》に悪戯《いたづら》する動物ぢや無い。吾寺《うち》の鼠は温順《おとな》しいから御覧なさいツて。成程|左様《さう》言はれて見ると、少許《すこし》も人を懼《おそ》れない。白昼《ひるま》ですら出て遊《あす》んで居る。はゝゝゝゝ、寺の内《なか》の光景《けしき》は違つたものだと思つたよ。』
『そいつは妙だ。』と銀之助は笑つて、『余程奥様といふ人は変つた婦人《をんな》と見えるね。』
『なに、それほど変つても居ないが、普通の人よりは宗教的なところがあるさ。さうかと思ふと、吾儕《わたしども》だつて高砂《たかさご》で一緒になつたんです、なんて、其様《そん》なことを言出す。だから、尼僧《あま》ともつかず、大黒《だいこく》ともつかず、と言つて普通の家《うち》の細君でもなし――まあ、門徒寺《もんとでら》に
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