三の春まで、斯の土壁の内に育てられたといふことが、酷《ひど》く丑松の注意を引いた。部屋は三間ばかりも有るらしい。軒の浅い割合に天井の高いのと、外部《そと》に雪がこひのして有るのとで、何となく家《うち》の内が薄暗く見える。壁は粗末な茶色の紙で張つて、年々《とし/″\》の暦と錦絵とが唯一つの装飾といふことに成つて居た。定めしお志保も斯の古壁の前に立つて、幼い眼に映る絵の中の男女《をとこをんな》を自分の友達のやうに眺めたのであらう。思ひやると、其昔のことも俤《おもかげ》に描かれて、言ふに言はれぬ可懐《なつか》しさを添へるのであつた。
其時、草色の真綿帽子を冠り、糸織の綿入羽織を着た、五十|余《あまり》の男が入口のところに顕《あらは》れた。
『地親《ぢやうや》さんでやすよ。』
と省吾は呼ばゝり乍ら入つて来た。
(三)
地主といふは町会議員の一人。陰気な、無愛相《ぶあいそ》な、極《ご》く/\口の重い人で、一寸丑松に会釈《ゑしやく》した後、黙つて炉の火に身を温めた。斯《か》ういふ性質《たち》の男は克く北部の信州人の中にあつて、理由《わけ》も無しに怒つたやうな顔付をして居るが
前へ
次へ
全486ページ中345ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング