、今御帰り?』
斯う丑松は言葉を掛けた。
『はあ。』と省吾は笑つて、『私《わし》も後刻《あと》で蓮華寺へ行きやすよ、姉さんが来ても可《いゝ》と言ひやしたから。』
『むゝ――今夜は御説教があるんでしたツけねえ。』
と思出したやうに言つた。暫時《しばらく》丑松は可懐《なつか》しさうに、駈出して行く省吾の後姿を見送りながら立つた。雪の大路の光景《ありさま》は、丁度、眼前《めのまへ》に展《ひら》けて、用事ありげな人々が往つたり来たりして居る。急に烈しい眩暈《めまひ》に襲《おそ》はれて、丑松は其処へ仆《たふ》れかゝりさうに成つた。其時、誰か斯《か》う背後《うしろ》から追迫つて来て、自分を捕《つかま》へようとして、突然《だしぬけ》に『やい、調里坊《てうりツぱう》』とでも言ふかのやうに思はれた。斯う疑へば恐しくなつて、背後を振返つて見ずには居られなかつたのである――あゝ、誰が其様なところに居よう。丑松は自分を嘲《あざけ》つたり励ましたりした。
第拾五章
(一)
酷烈《はげ》しい、犯し難い社会《よのなか》の威力《ちから》は、次第に、丑松の身に迫つて来るやうに思はれた。
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