何卒《どうか》左様《さう》仰《おつしや》つて下さい。』
 と言つて、紳士は下女に名刺を渡す。下女は其を受取つて、『一寸、御待ちなすつて』を言捨て乍ら、二階の部屋へと急いだ。
 丑松は未《ま》だ寝床を離れなかつた。下女が枕頭《まくらもと》へ来て喚起《よびおこ》した時は、客の有るといふことを半分夢中で聞いて、苦しさうに呻吟《うな》つたり、手を延ばしたりした。軈《やが》て寝惚眼《ねぼけまなこ》を擦り/\名刺を眺めると、急に驚いたやうに、むつくり跳《は》ね起きた。
『奈何《どう》したの、斯人《このひと》が。』
『貴方《あんた》を尋ねて来なさりやしたよ。』
 暫時《しばらく》の間、丑松は夢のやうに、手に持つた名刺と下女の顔とを見比べて居た。
『斯人は僕のところへ来たんぢや無いんだらう。』
 と不審を打つて、幾度か小首を傾《かし》げる。
『高柳利三郎?』
 と復《ま》た繰返した。袈裟治は襷を手に持つて、一寸小肥りな身体《からだ》を動《ゆす》つて、早く返事を、と言つたやうな顔付。
『何か間違ひぢやないか。』到頭丑松は斯う言出した。『どうも、斯様《こん》な人が僕のところへ尋ねて来る筈《はず》が無い。』
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