の包のやうに、べろ/\した儘《まゝ》で其処に置いてある。三人の屠手は互に庖丁を入れて、骨に添ふて肉を切開くのであつた。
烈しい追憶《おもひで》は、復た/\丑松の胸中を往来し始めた。『忘れるな』――あゝ、その熱い臨終の呼吸は、どんなに深い響となつて、生残る丑松の骨の膸《ずゐ》までも貫徹《しみとほ》るだらう。其を考へる度に、亡くなつた父が丑松の胸中に復活《いきかへ》るのである。急に其時、心の底の方で声がして、丑松を呼び警《いまし》めるやうに聞えた。『丑松、貴様は親を捨てる気か。』と其声は自分を責めるやうに聞えた。
『貴様は親を捨てる気か。』
と丑松は自分で自分に繰返して見た。
成程《なるほど》、自分は変つた。成程、一にも二にも父の言葉に服従して、それを器械的に遵奉《じゆんぽう》するやうな、其様《そん》な児童《こども》では無くなつて来た。成程、自分の胸の底は父ばかり住む世界では無くなつて来た。成程、父の厳しい性格を考へる度に、自分は反つて反対《あべこべ》な方へ逸出《ぬけだ》して行つて、自由自在に泣いたり笑つたりしたいやうな、其様《そん》な思想《かんがへ》を持つやうに成つた。あゝ、世の無
前へ
次へ
全486ページ中215ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング