分で自分に言つた。吉田屋の門口へ入つた時は、其|思想《かんがへ》が復《ま》た胸の中を往来したのである。
 案内されて奥の方の座敷へ通ると、蓮太郎一人で、弁護士は未だ帰らなかつた。額、唐紙、すべて昔の風を残して、古びた室内の光景《さま》とは言ひ乍ら、談話《はなし》を為《す》るには至極静かで好かつた。火鉢に炭を加へ、其側に座蒲団を敷いて、相対《さしむかひ》に成つた時の心地《こゝろもち》は珍敷《めづらし》くもあり、嬉敷《うれし》くもあり、蓮太郎が手づから入れて呉れる茶の味は又格別に思はれたのである。其時丑松は日頃愛読する先輩の著述を数へて、始めて手にしたのが彼《あ》の大作、『現代の思潮と下層社会』であつたことを話した。『貧しきものゝなぐさめ』、『労働』、『平凡なる人』、とり/″\に面白く味《あぢは》つたことを話した。丑松は又、『懴悔録』の広告を見つけた時の喜悦《よろこび》から、飯山の雑誌屋で一冊を買取つて、其を抱いて内容《なかみ》を想像し乍ら下宿へ帰つた時の心地《こゝろもち》、読み耽つて心に深い感動を受けたこと、社会《よのなか》といふものゝ威力《ちから》を知つたこと、さては其著述に顕《あら》
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