窪《よだくぼ》、長瀬、丸子《まりこ》などの村落であるといふことを話した。濃く青い空気に包まれて居る谷の蔭は、霊泉寺、田沢、別所などの温泉の湧くところ、農夫が群れ集る山の上の歓楽の地、よく蕎麦《そば》の花の咲く頃には斯辺《このへん》からも労苦を忘れる為に出掛けるものがあるといふことを話した。
蓮太郎に言はせると、彼も一度は斯ういふ山の風景に無感覚な時代があつた。信州の景色は『パノラマ』として見るべきで、大自然が描いた多くの絵画の中では恐らく平凡といふ側に貶《おと》される程のものであらう――成程《なるほど》、大きくはある。然し深い風趣《おもむき》に乏しい――起きたり伏たりして居る波濤《なみ》のやうな山々は、不安と混雑とより外に何の感想《かんじ》をも与へない――それに対《むか》へば唯心が掻乱《かきみだ》されるばかりである。斯う蓮太郎は考へた時代もあつた。不思議にも斯の思想《かんがへ》は今度の旅行で破壊《ぶちこは》されて了《しま》つて、始めて山といふものを見る目が開《あ》いた。新しい自然は別に彼の眼前《めのまへ》に展けて来た。蒸《む》し煙《けぶ》る傾斜の気息《いき》、遠く深く潜む谷の声、活き
前へ
次へ
全486ページ中172ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング