心から産出《うみだ》した幻だ。』
『幻?』
『所謂《いはゆる》疑心暗鬼といふ奴だ。耳に聞える幻――といふのも少許《すこし》変な言葉だがね、まあ左様《さう》いふことも言へるとしたら、其が今夜君の聞いたやうな声なんだ。』
『あるひは左様《さう》かも知れない。』
暫時《しばらく》、三人は無言になつた。天も地も※[#「門<貝」、第4水準2−91−57]《しん》として、声が無かつた。急に是の星夜の寂寞《せきばく》を破つて、父の呼ぶ声が丑松の耳の底に響いたのである。
『丑松、丑松。』
と次第に幽《かすか》になつて、啼《な》いて空を渡る夜の鳥のやうに、終《しまひ》には遠く細く消えて聞えなくなつて了つた。
『瀬川君。』と銀之助は手提洋燈をさしつけて、顔色を変へた丑松の様子を不思議さうに眺め乍ら、『どうしたい――君は。』
『今、また阿爺《おやぢ》の声がした。』
『今? 何にも聞えやしなかつたぢやないか。』
『ホウ、左様《さう》かねえ。』
『左様かねえもないもんだ。何《なんに》も声なぞは聞えやしないよ。』と言つて、銀之助は敬之進の方へ向いて、『風間さん、奈何《どう》でした――何か貴方には聞えましたか。
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