辿《たど》つて行つた。見れば宿直室の窓を泄《も》れる灯《ひ》が、僅に庭の一部分を照して居るばかり。校舎も、樹木も、形を潜めた。何もかも今は夜の空気に包まれて、沈まり返つて、闇に隠れて居るやうに見える。それは少許《すこし》も風の無い、※[#「門<貝」、第4水準2−91−57]《しん》とした晩で、寒威《さむさ》は骨に透徹《しみとほ》るかのやう。恐らく山国の気候の烈しさを知らないものは、斯《か》うした信濃の夜を想像することが出来ないであらう。
父の呼ぶ声が復《ま》た聞えた。急に丑松は立留つて、星明りに周囲《そこいら》を透《すか》して視《み》たが、別に人の影らしいものが目に入るでも無かつた。すべては皆な無言である。犬一つ啼いて通らない斯の寒い夜に、何が音を出して丑松の耳を欺かう。
『丑松、丑松。』
とまた呼んだ。さあ、丑松は畏《おそ》れず慄《ふる》へずに居られなかつた。心はもう底の底までも掻乱《かきみだ》されて了《しま》つたのである。たしかに其は父の声で――皺枯《しやが》れた中にも威厳のある父の声で、あの深い烏帽子《ゑぼし》ヶ|嶽《だけ》の谷間《たにあひ》から、遠く斯《こ》の飯山に居る丑松
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