とこ》との間に、箕《み》を高く頭の上に載せ、少許《すこし》づつ籾を振ひ落して居る女、彼《あれ》は音作の『おかた』(女房)であると話した。丁度其女房が箕を振る度に、空殻《しひな》の塵《ほこり》が舞揚つて、人々は黄色い烟を浴びるやうに見えた。省吾はまた、母の傍《わき》に居る小娘を指差して、彼が異母《はらちがひ》の妹のお作であると話した。
『君の兄弟は幾人《いくたり》あるのかね。』と丑松は省吾の顔を熟視《まも》り乍ら尋ねた。
『七人。』といふ省吾の返事。
『随分多勢だねえ、七人とは。君に、姉さんに、尋常科の進さんに、あの妹に――それから?』
『まだ下に妹が一人と弟が一人。一番|年長《うへ》の兄さんは兵隊に行つて死にやした。』
『むゝ左様《さう》ですか。』
『其中で、死んだ兄さんと、蓮華寺へ貰はれて行きやした姉さんと、私《わし》と――これだけ母さんが違ひやす。』
『そんなら、君やお志保さんの真実《ほんたう》の母さんは?』
『最早《もう》居やせん。』
斯ういふ話をして居ると、不図《ふと》継母《まゝはゝ》の呼声を聞きつけて、ぷいと省吾は駈出して行つて了つた。
(二)
『省吾や。お前《めへ》はまあ幾歳《いくつ》に成つたら御手伝ひする積りだよ。』と言ふ細君の声は手に取るやうに聞えた。省吾は継母を懼《おそ》れるといふ様子して、おづ/\と其前に立つたのである。
『考へて見な、もう十五ぢやねえか。』と怒を含んだ細君の声は復た聞えた。『今日は音さんまで御頼申《おたのまう》して、斯うして塵埃《ほこり》だらけに成つて働《かま》けて居るのに、それがお前の目には見えねえかよ。母さんが言はねえだつて、さつさと学校から帰つて来て、直に御手伝ひするのが当然《あたりまへ》だ。高等四年にも成つて、未《ま》だ※[#「阜」の「十」に代えて「虫」、第4水準2−87−44]螽捕《いなごと》りに夢中に成つてるなんて、其様《そん》なものが何処にある――与太坊主め。』
見れば細君は稲扱《いねこ》く手を休めた。音作の女房も振返つて、気の毒さうに省吾の顔を眺め乍ら、前掛を〆直《しめなほ》したり、身体の塵埃《ほこり》を掃つたりして、軈《やが》て顔に流れる膏汗《あぶらあせ》を拭いた。莚《むしろ》の上の籾は黄な山を成して居る。音作も亦た槌の長柄に身を支へて、うんと働いた腰を延ばして、濃く青い空気を呼吸した。
『これ、お作や。』と細君の児を叱る声が起つた。『どうして其様《そん》な悪戯《いたづら》するんだい。女の児は女の児らしくするもんだぞ。真個《ほんと》に、どいつもこいつも碌なものはありやあしねえ。自分の子ながら愛想《あいそ》が尽きた。見ろ、まあ、進を。お前達二人より余程《よつぽど》御手伝ひする。』
『あれ、進だつて遊《あす》んで居やすよ。』といふのは省吾の声。
『なに、遊んでる?』と細君はすこし声を震はせて、『遊んでるものか。先刻《さつき》から御子守をして居やす。其様《そん》なお前のやうな役に立たずぢやねえよ。ちよツ、何ぞと言ふと、直に口答へだ。父さんが過多《めた》甘やかすもんだから、母さんの言ふことなぞ少許《ちつと》も聞きやしねえ。真個《ほんと》に図太《づな》い口の利きやうを為る。だから省吾は嫌ひさ。すこし是方《こちら》が遠慮して居れば、何処迄いゝ気に成るか知れやしねえ。あゝ必定《きつと》また蓮華寺へ寄つて、姉さんに何か言付けて来たんだらう。それで斯様《こんな》に遅くなつたんだらう。内証で隠れて行つて見ろ――酷いぞ。』
『奥様。』と音作は見兼ねたらしい。『何卒《どうか》まあ、今日《こんち》のところは、私《わし》に免じて許して下さるやうに。ない(なあと同じ農夫の言葉)、省吾さん、貴方《あんた》もそれぢやいけやせん。母さんの言ふことを聞かねえやうなものなら、私だつて提棒《さげぼう》(仲裁)に出るのはもう御免だから。』
音作の女房も省吾の側へ寄つて、軽く背を叩《たゝ》いて私語《さゝや》いた。軈て女房は其手に槌の長柄を握らせて、『さあ、御手伝ひしやすよ。』と亭主の方へ連れて行つた。『どれ、始めずか(始めようか)。』と音作は省吾を相手にし、槌を振つて籾を打ち始めた。『ふむ、よう。』の掛声も起る。細君も、音作の女房も、復た仕事に取懸つた。
図《はか》らず丑松は敬之進の家族を見たのである。彼《あ》の可憐な少年も、お志保も、細君の真実《ほんたう》の子では無いといふことが解つた。夫の貧を養ふといふ心から、斯うして細君が労苦して居るといふことも解つた。五人の子の重荷と、不幸な夫の境遇とは、細君の心を怒り易く感じ易くさせたといふことも解つた。斯う解つて見ると、猶々《なほ/\》丑松は敬之進を憐むといふ心を起したのである。
今はすこし勇気を回復した。明《あきらか》に見、明に考へることが出
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