聞かう。』と銀之助は肩を動《ゆす》つた。
『なにしろ近頃非常に沈んで居られるのは事実だ。』と尋常四年の教師は、腮《あご》の薄鬚《うすひげ》を掻上げ乍ら言ふ。
『沈んで居る?』と銀之助は聞咎《きゝとが》めて、『沈んで居るのは彼男《あのをとこ》の性質さ。それだから新平民だとは無論言はれない。新平民でなくたつて、沈欝《ちんうつ》な男はいくらも世間にあるからね。』
『穢多には一種特別な臭気《にほひ》が有ると言ふぢやないか――嗅いで見たら解るだらう。』と尋常一年の教師は混返《まぜかへ》すやうにして笑つた。
『馬鹿なことを言給へ。』と銀之助も笑つて、『僕だつていくらも新平民を見た。あの皮膚の色からして、普通の人間とは違つて居らあね。そりやあ、もう、新平民か新平民で無いかは容貌《かほつき》で解る。それに君、社会《よのなか》から度外《のけもの》にされて居るもんだから、性質が非常に僻《ひが》んで居るサ。まあ、新平民の中から男らしい毅然《しつかり》した青年なぞの産れやうが無い。どうして彼様《あん》な手合が学問といふ方面に頭を擡《もちあ》げられるものか。其から推《お》したつて、瀬川君のことは解りさうなものぢやないか。』
『土屋君、そんなら彼《あ》の猪子蓮太郎といふ先生は奈何《どう》したものだ。』と文平は嘲《あざけ》るやうに言つた。
『ナニ、猪子蓮太郎?』と銀之助は言淀《いひよど》んで、『彼《あ》の先生は――彼《あれ》は例外さ。』
『それ見給へ。そんなら瀬川君だつても例外だらう――はゝゝゝゝ。はゝゝゝゝ。』
と準教員は手を拍《う》つて笑つた。聞いて居る教員|等《たち》も一緒になつて笑はずには居られなかつたのである。
其時、斯の職員室の戸を開けて入つて来たのは、丑松であつた。急に一同口を噤《つぐ》んで了《しま》つた。人々の視線は皆な丑松の方へ注ぎ集つた。
『瀬川君、奈何《どう》ですか、御病気は――』
と文平は意味ありげに尋ねる。其調子がいかにも皮肉に聞えたので、準教員は傍に居る尋常一年の教師と顔を見合せて、思はず互に微笑《ほゝゑみ》を泄《もら》した。
『難有《ありがた》う。』と丑松は何気なく、『もうすつかり快《よ》くなりました。』
『風邪《かぜ》ですか。』と尋常四年の教師が沈着《おちつ》き澄まして言つた。
『はあ――ナニ、差《たい》したことでも無かつたんです。』と答へて、丑松は気を変へて、『時に、勝野君、生憎《あいにく》今日は生徒が集まらなくて困つた。斯《こ》の様子では土屋君の送別会も出来さうも無い。折角|準備《したく》したのにツて、出て来た生徒は張合の無いやうな顔してる。』
『なにしろ是雪《このゆき》だからねえ。』と文平は微笑んで、『仕方が無い、延ばすサ。』
斯《か》ういふ話をして居るところへ、小使がやつて来た。銀之助は丑松の方にばかり気を取られて、小使の言ふことも耳へ入らない。それと見た体操の教師は軽く銀之助の肩を叩いて、
『土屋君、土屋君――校長先生が君を呼んでるよ。』
『僕を?』銀之助は始めて気が付いたのである。
(三)
校長は郡視学と二人で応接室に居た。銀之助が戸を開けて入つた時は、二人差向ひに椅子に腰懸けて、何か密議を凝《こら》して居るところであつた。
『おゝ、土屋君か。』と校長は身を起して、そこに在る椅子を銀之助の方へ押薦《おしすゝ》めた。『他《ほか》の事で君を呼んだのでは無いが、実は近頃世間に妙な風評が立つて――定めし其はもう君も御承知のことだらうけれど――彼様《あゝ》して町の人が左《と》や右《かく》言ふものを、黙つて見ても居られないし、第一|斯《か》ういふことが余り世間へ伝播《ひろが》ると、終《しまひ》には奈何《どん》な結果を来すかも知れない。其に就いて、茲《こゝ》に居られる郡視学さんも非常に御心配なすつて、態々《わざ/\》斯《こ》の雪に尋ねて来て下すつたんです。兎《と》に角《かく》、君は瀬川君と師範校時代から御一緒ではあり、日頃親しく往来《ゆきゝ》もして居られるやうだから、君に聞いたら是事《このこと》は一番好く解るだらう、斯う思ひましてね。』
『いえ、私だつて其様《そん》なことは解りません。』と銀之助は笑ひ乍ら答へた。『何とでも言はせて置いたら好いでせう。其様な世間で言ふやうなことを、一々気にして居たら際限《きり》が有ますまい。』
『しかし、左様いふものでは無いよ。』と校長は一寸郡視学の方を向いて見て、軈《やが》て銀之助の顔を眺め乍ら、『君等は未だ若いから、其程世間といふものに重きを置かないんだ。幼稚なやうに見えて、馬鹿にならないのは、世間さ。』
『そんなら町の人が噂《うはさ》するからと言つて、根も葉も無いやうなことを取上げるんですか。』
『それ、それだから、君等は困る。無論我輩だつて其様なことを信じない
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