く》して居たものさ。其様《そん》な穢《けがらは》しいものを君等の学校で教員にして置くなんて――第一怪しからんぢやないか。』
『叱《しツ》。』
と周章《あわ》てゝ制するやうにして、急に準教員は振返つて見た。其時、丑松は矢張学校へ出勤するところと見え、深く外套《ぐわいたう》に身を包んで、向ふの雪の中を夢見る人のやうに通る。何か斯う物を考へ/\歩いて行くといふことは、其の沈み勝ちな様子を見ても知れた。暫時《しばらく》丑松も佇立《たちどま》つて、熟《じつ》と是方《こちら》の二人を眺めて、軈て足早に学校を指して急いで行つた。
(二)
雪に妨げられて、学校へ集る生徒は些少《すくな》かつた。何時《いつ》まで経《た》つても授業を始めることが出来ないので、職員のあるものは新聞縦覧所へ、あるものは小使部屋へ、あるものは又た唱歌の教室に在る風琴の周囲《まはり》へ――いづれも天の与へた休暇《やすみ》として斯の雪の日を祝ふかのやうに、思ひ/\の圜《わ》に集つて話した。
職員室の片隅にも、四五人の教員が大火鉢を囲繞《とりま》いた。例の準教員が其中へ割込んで入つた時は、誰が言出すともなく丑松の噂を始めたのであつた。時々盛んな笑声が起るので、何事かと来て見るものが有る。終《しまひ》には銀之助も、文平も来て、斯の談話《はなし》の仲間に入つた。
『奈何《どう》です、土屋君。』と準教員は銀之助の方を見て、『吾儕《われ/\》は今、瀬川君のことに就いて二派に別れたところです。君は瀬川君と同窓の友だ。さあ、君の意見を一つ聞かせて呉れ給へ。』
『二派とは?』と銀之助は熱心に。
『外でも無いんですがね、瀬川君は――まあ、近頃世間で噂のあるやうな素性の人に相違ないといふ説と、いや其様な馬鹿なことが有るものかといふ説と、斯う二つに議論が別れたところさ。』
『一寸待つて呉れ給へ。』と薄鬚《うすひげ》のある尋常四年の教師が冷静な調子で言つた。『二派と言ふのは、君、少許《すこし》穏当で無いだらう。未《ま》だ、左様《さう》だとも、左様では無いとも、断言しない連中が有るのだから。』
『僕は確に其様なことは無いと断言して置く。』と体操の教師が力を入れた。
『まあ、土屋君、斯ういふ訳です。』と準教員は火鉢の周囲《まはり》に集る人々の顔を眺《なが》め廻して、『何故《なぜ》其様《そん》な説が出たかといふに、そこには種々《いろ/\》議論も有つたがね、要するに瀬川君の態度が頗《すこぶ》る怪しい、といふのがそも/\始りさ。吾儕《われ/\》の中に新平民が居るなんて言触らされて見給へ。誰だつて憤慨するのは至当《あたりまへ》ぢやないか。君始め左様だらう。一体、世間で其様なことを言触らすといふのが既にもう吾儕職員を侮辱してるんだ。だからさ、若し瀬川君に疚《やま》しいところが無いものなら、吾儕と一緒に成つて怒りさうなものぢやないか。まあ、何とか言ふべきだ。それも言はないで、彼様《あゝ》して黙つて居るところを見ると、奈何《どう》しても隠して居るとしか思はれない。斯う言出したものが有る。すると、また一人が言ふには――』と言ひかけて、軈《やが》て思付いたやうに、『しかし、まあ、止さう。』
『何だ、言ひかけて止すやつが有るもんか。』と背の高い尋常一年の教師が横鎗《よこやり》を入れる。
『やるべし、やるべし。』と冷笑の語気を帯びて言つたのは、文平であつた。文平は準教員の背後《うしろ》に立つて、巻煙草を燻《ふか》し乍ら聞いて居たのである。
『しかし、戯語《じようだん》ぢや無いよ。』と言ふ銀之助の眼は輝いて来た。『僕なぞは師範校時代から交際《つきあ》つて、能く人物を知つて居る。彼《あ》の瀬川君が新平民だなんて、其様《そん》なことが有つて堪るものか。一体誰が言出したんだか知らないが、若《も》し世間に其様な風評が立つやうなら、飽迄《あくまで》も僕は弁護して遣らなけりやならん。だつて、君、考へて見給へ。こりや真面目《まじめ》な問題だよ――茶を飲むやうな尋常《あたりまへ》な事とは些少《すこし》訳が違ふよ。』
『無論さ。』と準教員は答へた。『だから吾儕《われ/\》も頭を痛めて居るのさ。まあ、聞き給へ。ある人は又た斯ういふことを言出した。瀬川君に穢多の話を持掛けると、必ず話頭《はなし》を他《わき》へ転《そら》して了ふ。いや、転して了ふばかりぢや無い、直に顔色を変へるから不思議だ――其顔色と言つたら、迷惑なやうな、周章《あわ》てたやうな、まあ何ともかとも言ひやうが無い。それそこが可笑《をか》しいぢやないか。吾儕と一緒に成つて、「むゝ、調里坊《てうりツぱう》かあ」とかなんとか言ふやうだと、誰も何とも思やしないんだけれど。』
『そんなら、君、あの瀬川丑松といふ男に何処《どこ》か穢多らしい特色が有るかい。先づ、其からして
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