其を受取つて、一息にぐいと飲乾《のみほ》して了つた。
『烈しいねえ。』と敬之進は呆《あき》れて、『君は今日は奈何《どう》かしやしないか。左様《さう》君のやうに飲んでも可《いゝ》のか。まあ、好加減にした方が好からう。我輩が飲むのは不思議でも何でも無いが、君が飲むのは何だか心配で仕様が無い。』
『何故《なぜ》?』
『何故ツて、君、左様ぢやないか。君と我輩とは違ふぢや無いか。』
『はゝゝゝゝ。』
 と丑松は絶望した人のやうに笑つた。

       (七)

 何か敬之進は言ひたいことが有つて、其を言ひ得ないで、深い溜息を吐くといふ様子。其時はもう百姓も、橇曳《そりひき》も出て行つて了つた。余念も無く流許《ながしもと》で鍋《なべ》を鳴らして居る主婦《かみさん》、裏口の木戸のところに佇立《たゝず》んで居る子供、この人達より外に二人の談話《はなし》を妨《さまた》げるものは無かつた。高い天井の下に在るものは、何もかも暗く煤《すゝ》けた色を帯びて、昔の街道の名残《なごり》を顕《あらは》して居る。あちらの柱に草鞋《わらぢ》、こちらの柱に干瓢《かんぺう》、壁によせて黄な南瓜《かぼちや》いくつか並べてあるは、いかにも町はづれの古い茶屋らしい。土間も広くて、日あたりに眠る小猫もあつた。寒さの為に身を潜《すく》め乍ら目を瞑つて居る鶏もあつた。
 薄い日の光は明窓《あかりまど》から射して、軒から外へ泄《も》れる煙の渦を青白く照した。丑松は茫然と思ひ沈んで、炉《ろ》に燃え上る『ぼや』の焔《ほのほ》を熟視《みつ》めて居た。赤々とした火の色は奈何《どんな》に人の苦痛を慰めるものであらう。のみならず、強ひて飲んだ地酒の酔心地から、やたらに丑松は身を慄《ふる》はせて、時には人目も関はず泣きたい程の思に帰つた。あゝ声を揚げて放肆《ほしいまゝ》に泣いたなら、と思ふ心は幾度起るか知れない。しかし涙は頬を霑《うるほ》さなかつた――丑松は嗚咽《すゝりな》くかはりに、大きく口を開いて笑つたのである。
『あゝ。』と敬之進は嘆息して、『世の中には、十年も交際《つきあ》つて居て、それで毎時《いつでも》初対面のやうな気のする人も有るし、又、君のやうに、其様《そんな》に深い懇意な仲で無くても、斯うして何もかも打明けて話したい人が有る。我輩が斯様《こん》な話をするのは、実際、君より外に無い。まあ、是非君に聞いて貰ひたいと思ふことが有るんでね。』とすこし言淀んで、『実は――此頃《こなひだ》久し振で娘に逢ひました。』
『お志保さんに?』丑松の胸は何となく踊るのであつた。
『といふのは、君、あの娘《こ》の方から逢つて呉れろといふ言伝《ことづけ》があつて――尤《もつと》も、我輩もね、君の知つてる通り蓮華寺とは彼様《あゝ》いふ訳だし、それに家内は家内だし、するからして、成るべく彼の娘には逢はないやうにして居る。ところが何か相談したいことが有ると言ふもんだから、まあ、その、久し振で逢つて見た。どうも若いものがずん/\大きく成るのには驚いて了ふねえ。まるで見違へる位。それで君、何の相談かと思ふと、最早々々《もう/\》奈何《どう》しても蓮華寺には居られない、一日も早く家《うち》へ帰るやうにして呉れ、頼む、と言ふ。事情を聞いて見ると無理もない。其時我輩も始めて彼の住職の性質を知つたやうな訳サ。』
 と言つて、敬之進は一寸徳利を振つて見た。生憎《あいにく》酒は盃《さかづき》に満たなかつた。やがて一口飲んで、両手で口の端《はた》を撫《な》で廻して、
『斯《か》うです。まあ、君、聞いて呉れ給へ。よく世間には立派な人物だと言はれて居ながら、唯|女性《をんな》といふものにかけて、非常に弱い性質《たち》の男があるものだね。蓮華寺の住職も矢張《やはり》其だらうと思ふよ。彼程《あれほど》学問もあり、弁才もあり、何一つ備はらないところの無い好い人で、殊《こと》に宗教《をしへ》の方の修行もして居ながら、それでまだ迷が出るといふのは、君、奈何《どう》いふ訳だらう。我輩は娘から彼《あ》の住職のことを聞いた時、どうしても其が信じられなかつた。いや、嘘だとしか思はれなかつた。実に人は見かけによらないものさね。ホラ、彼の住職も長いこと西京へ出張して居ましたよ。丁度帰つて来たのは、君が郷里の方へ行つて留守だつた時さ。それからといふものは、まあ娘に言はせると、奈何《どう》しても養父《おとつ》さんの態度《しむけ》とは思はれないと言ふ。かりそめにも仏の御弟子ではないか。袈裟《けさ》を着《つけ》て教を説く身分ではないか。自分の職業に対しても、もうすこし考へさうなものだと思ふんだ。あまり浅猿《あさま》しい、馬鹿馬鹿しいことで、他《ひと》に話も出来ないやね。奥様はまた奥様で、彼様《あゝ》いふ性質の女だから、人並勝れて嫉妬深《しつとぶか》いと来て居
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