り懐手《ふところで》して見ても居られずサ。まだそれでも、斯うして釣に出られるやうな日は好いが、屋外《そと》へも出られないやうな日と来ては、実に我輩は為《す》る事が無くて困る。左様いふ日には、君、他に仕方が無いから、まあ昼寝を為ることに極《き》めてね――』
至極真面目で、斯様《こん》なことを言出した。この『昼寝を為ることに極めてね』が酷《ひど》く丑松の心を動かしたのである。
『時に、瀬川君。』と敬之進は酒徒《さけのみ》らしい手付をして、盃を取上げ乍ら、『省吾の奴も長々君の御世話に成つたが、種々《いろ/\》家の事情を考へると、どうも我輩の思ふやうにばかりもいかないことが有るんで――まあ、その、学校を退《ひ》かせようかと思ふのだが、君、奈何《どう》だらう。』
(六)
『そりやあもう我輩だつて退校させたくは無いさ。』と敬之進は言葉を続けた。『せめて普通教育位は完全に受けさせたいのが親の情さ。来年の四月には卒業の出来るものを、今|茲《こゝ》で廃《や》めさせて、小僧奉公なぞに出して了《しま》ふのは可愛さうだ、とは思ふんだが、実際止むを得んから情ない。彼様《あん》な茫然《ぼんやり》した奴《やつ》だが、万更《まんざら》学問が嫌ひでも無いと見えて、学校から帰ると直に机に向つては、何か独りでやつてますよ。どうも数学が出来なくて困る。其かはり作文は得意だと見えて、君から「優」なんて字を貰つて帰つて来ると、それは大悦《おほよろこ》びさ。此頃《こなひだ》も君に帳面を頂いた時なぞは、先生が作文を書けツて下すつたと言つてね、まあ君どんなに喜びましたらう。その嬉しがりやうと言つたら、大切に本箱の中へ入れて仕舞つて置いて、何度出して見るか解らない位さ。彼《あ》の晩は寝言にまで言つたよ。それ、左様《さう》いふ風だから、兎《と》に角《かく》やる気では居るんだねえ。其を思ふと廃して了へと言ふのは実際可愛さうでもある。しかし、君、我輩のやうに子供が多勢では左《どう》にも右《かう》にも仕様が無い。一概に子供と言ふけれど、その子供がなか/\馬鹿にならん。悪戯《いたづら》なくせに、大飯食《おほめしぐら》ひばかり揃つて居て――はゝゝゝゝ、まあ君だから斯様《こん》なことまでも御話するんだが、まさか親の身として、其様《そんな》に食ふな、三杯位にして節《ひか》へて置け、なんて過多《あんまり》吝嗇《けち/\》したことも言へないぢやないか。』
斯ういふ述懐は丑松を笑はせた。敬之進も亦《ま》た寂しさうに笑つて、
『ナニ、それもね、継母《まゝはゝ》ででも無けりや、またそこにもある。省吾の奴を奉公にでも出して了つたら、と我輩が思ふのは、実は今の家内との折合が付かないから。我輩はお志保や省吾のことを考へる度に、どの位あの二人の不幸《ふしあはせ》を泣いてやるか知れない。奈何《どう》して継母といふものは彼様《あんな》邪推深いだらう。此頃《こなひだ》も此頃で、ホラ君の御寺に説教が有ましたらう。彼晩《あのばん》、遅くなつて省吾が帰つて来た。さあ、家内は火のやうになつて怒つて、其様《そんな》に姉さんのところへ行きたくば最早《もう》家《うち》なんぞへ帰らなくても可《いゝ》。出て行つて了へ。必定《きつと》また御寺へ行つて余計なことをべら/\喋舌《しやべ》つたらう。必定また姉さんに悪い智慧を付けられたらう。だから私の言ふことなぞは聞かないんだ。斯う言つて、家内が責める。すると彼奴《あいつ》は気が弱いもんだから、黙つて寝床の内へ潜り込んで、しく/\やつて居ましたつけ。其時、我輩も考へた。寧《いつ》そこりや省吾を出した方が可《いゝ》。左様《さう》すれば、口は減るし、喧嘩《けんくわ》の種は無くなるし、あるひは家庭《うち》が一層《もつと》面白くやつて行かれるかも知れない。いや――どうかすると、我輩は彼《あ》の省吾を連れて、二人で家《うち》を出て了はうか知らん、といふやうな気にも成るのさ。あゝ。我輩の家庭《うち》なぞは離散するより外《ほか》に最早《もう》方法が無くなつて了つた。』
次第に敬之進は愚痴な本性を顕した。酒気が身体へ廻つたと見えて、頬も、耳も、手までも紅《あか》く成つた。丑松は又、一向顔色が変らない。飲めば飲む程、反《かへ》つて頬は蒼白《あをじろ》く成る。
『しかし、風間さん、左様《さう》貴方のやうに失望したものでも無いでせう。』と丑松は言ひ慰めて、『及ばず乍ら私も力に成つて上げる気で居るんです。まあ、其盃を乾したら奈何《どう》ですか――一つ頂きませう。』
『え?』と敬之進はちら/\した眼付で、不思議さうに対手《あひて》の顔を眺めた。『これは驚いた。盃を呉れろと仰るんですか。へえ、君は斯の方もなか/\いけるんだね。我輩は又、飲めない人かとばかり思つて居た。』
と言つて盃をさす。丑松は
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