よりも一層《もつと》男性《をとこ》らしく見える。銀之助は不思議さうに友達の顔を眺めて、久し振で若く剛《つよ》く活々とした丑松の内部《なか》の生命《いのち》に触れるやうな心地《こゝろもち》がした。
 対手が黙つて了《しま》つたので、丑松もそれぎり斯様《こん》な話をしなかつた。文平はまた何時までも心の激昂を制《おさ》へきれないといふ様子。頭ごなしに罵《のゝし》らうとして、反《かへ》つて丑松の為に言敗《いひまく》られた気味が有るので、軽蔑《けいべつ》と憎悪《にくしみ》とは猶更《なほさら》容貌の上に表れる。『何だ――この穢多めが』とは其の怒気《いかり》を帯びた眼が言つた。軈て文平は尋常一年の教師を窓の方へ連れて行つて、
『奈何《どう》だい、君、今の談話《はなし》は――瀬川君は最早《もう》悉皆《すつかり》自分で自分の秘密を自白したぢやないか。』
 斯《か》う私語《さゝや》いて聞かせたのである。
 丁度準教員は鉛筆写生を終つた。人々はいづれも其|周囲《まはり》へ集つた。


   第拾九章

       (一)

 この大雪を衝《つ》いて、市村弁護士と蓮太郎の二人が飯山へ乗込んで来る、といふ噂《うはさ》は学校に居る丑松の耳にまで入つた。高柳一味の党派は、斯《こ》の風説に驚かされて、今更のやうに防禦《ばうぎよ》を始めたとやら。有権者の訪問、推薦状の配付、さては秘密の勧誘なぞが頻《しきり》に行はれる。壮士の一群《ひとむれ》は高柳派の運動を助ける為に、既に町へ入込んだともいふ。選挙の上の争闘《あらそひ》は次第に近いて来たのである。
 其日は宿直の当番として、丑松銀之助の二人が学校に居残ることに成つた。尤《もつと》も銀之助は拠《よんどころ》ない用事が有ると言つて出て行つて、日暮になつても未だ帰つて来なかつたので、日誌と鍵とは丑松が預つて置いた。丑松は絶えず不安の状態《ありさま》――暇さへあれば宿直室の畳の上に倒れて、独りで考へたり悶《もだ》えたりしたのである。冬の一日《ひとひ》は斯ういふ苦しい心づかひのうちに過ぎた。入相《いりあひ》を告げる蓮華寺の鐘の音が宿直室の玻璃窓《ガラスまど》に響いて聞える頃は、殊《こと》に烈しい胸騒ぎを覚えて、何となくお志保の身の上も案じられる。もし奥様の決心がお志保の方に解りでもしたら――あるひは、最早《もう》解つて居るのかも知れない――左様なると、娘の身
前へ 次へ
全243ページ中194ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング