として其を黙つて視て居ることが出来ようか。と言つて、奈何《どう》して彼の継母のところなぞへ帰つて行かれよう。
『あゝ、お志保さんは死ぬかも知れない。』
 と不図《ふと》斯ういふことを想ひ着いた時は、言ふに言はれぬ哀傷《かなしみ》が身を襲《おそ》ふやうに感ぜられた。
 待つても、待つても、銀之助は帰つて来なかつた。長い間丑松は机に倚凭《よりかゝ》つて、洋燈《ランプ》の下《もと》にお志保のことを思浮べて居た。斯うして種々《さま/″\》の想像に耽《ふけ》り乍ら、悄然《しよんぼり》と五分心の火を熟視《みつ》めて居るうちに、何時の間にか疲労《つかれ》が出た。丑松は机に倚凭つた儘《まゝ》、思はず知らずそこへ寝《ね》て了《しま》つたのである。
 其時、お志保が入つて来た。

       (二)

 こゝは学校では無いか。奈何《どう》して斯様《こん》なところへお志保が尋ねて来たらう。と丑松は不思議に考へないでもなかつた。しかし其|疑惑《うたがひ》は直に釈《と》けた。お志保は何か言ひたいことが有つて、わざ/\自分のところへ逢ひに来たのだ、と斯う気が着いた。あの夢見るやうな、柔嫩《やはらか》な眼――其を眺めると、お志保が言はうと思ふことはあり/\と読まれる。何故、父や弟にばかり親切にして、自分には左様《さう》疎々《よそ/\》しいのであらう。何故、同じ屋根の下に住む程の心やすだては有乍ら、優しい言葉の一つも懸けて呉れないのであらう。何故、其|口唇《くちびる》は言ひたいことも言はないで、堅く閉《と》ぢ塞《ふさが》つて、恐怖《おそれ》と苦痛《くるしみ》とで慄へて居るのであらう。
 斯ういふ楽しい問は、とは言へ、長く継《つゞ》かなかつた。何時の間にか文平が入つて来て、用事ありげにお志保を促《うなが》した。終《しまひ》には羞《はづか》しがるお志保の手を執《と》つて、無理やりに引立てゝ行かうとする。
『勝野君、まあ待ち給へ。左様《さう》君のやうに無理なことを為《し》なくツても好からう。』
 と言つて、丑松は制止《おしとゞ》めるやうにした。其時、文平も丑松の方を振返つて見た。二人の目は電光《いなづま》のやうに出逢《であ》つた。
『お志保さん、貴方《あなた》に好事《いゝこと》を教へてあげる。』
 と文平は女の耳の側へ口を寄せて、丑松が隠蔽《かく》して居る其恐しい秘密を私語《さゝや》いて聞かせるやうな
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