―』
『十八貫八百――是は魂消《たまげ》た。』と弟も調子を合せる。
『十八貫八百あれば、まあ、好い籾です。』と音作は腰を延ばして言つた。
『しかし、俵《へう》にもある。』と地主はどこまでも不満足らしい顔付。
『左様《さう》です。俵にも有やすが、其は知れたもんです。』
といふ兄の言葉に附いて、弟はまた独語《ひとりごと》のやうに、
『俺《おら》がとこは十八貫あれば好いだ。』
『なにしろ、坊主九分交りといふ籾ですからなあ。』
斯う言つて、音作は愚しい目付をしながら、傲然《がうぜん》とした地主の顔色を窺《うかゞ》ひ澄ましたのである。
(四)
斯《こ》の光景《ありさま》を眺めて居た丑松は、可憐《あはれ》な小作人の境涯《きやうがい》を思ひやつて――仮令《たとひ》音作が正直な百姓|気質《かたぎ》から、いつまでも昔の恩義を忘れないで、斯うして零落した主人の為に尽すとしても――なか/\細君の痩腕で斯の家族が養ひきれるものでは無いといふことを感じた。お志保が苦しいから帰りたいと言つたところで、『第一、八人の親子が奈何《どう》して食へよう』と敬之進も酒の上で泣いた。噫《あゝ》、実に左様《さう》だ。奈何して斯様《こん》なところへ帰つて来られよう。丑松は想像して慄《ふる》へたのである。
『まあ、御茶一つお上り。』と音作に言はれて、地主は寒さうに炉辺へ急いだ。音作も腰に着けた煙草入を取出して、立つて一服やり乍ら、
『六俵の二斗五升取ですか。』
『二斗五升ツてことが有るもんか。』と地主は嘲《あざけ》つたやうに、『四斗五升よ。』
『四斗……』
『四斗五升ぢや無いや、四斗七升だ――左様だ。』
『四斗七升?』
斯ういふ二人の問答を、細君は黙つて聞いて居たが、もう/\堪《こら》へきれないと言つたやうな風に、横合から話を引取つて、
『音さん。四斗七升の何のと言はないで、何卒《どうか》悉皆《すつかり》地親《ぢやうや》さんの方へ上げて了つて御呉《おくん》なんしよや――私《わし》はもう些少《すこし》も要《い》りやせん。』
『其様《そん》な、奥様《おくさん》のやうな。』と音作は呆《あき》れて細君の顔を眺める。
『あゝ。』と細君は嘆息した。『何程《いくら》私ばかり焦心《あせ》つて見たところで、肝心《かんじん》の家《うち》の夫《ひと》が何《なんに》も為ずに飲んだでは、やりきれる筈がごはせん。
前へ
次へ
全243ページ中175ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング