其を思ふと、私はもう働く気も何も無くなつて了《しま》ふ。加之《おまけ》に、子供は多勢で、与太《よた》(頑愚)なものばかり揃つて居て――』
『まあ、左様《さう》仰《おつしや》らないで、私《わし》に任せなされ――悪いやうには為《し》ねえからせえて。』と音作は真心籠めて言慰《いひなぐさ》めた。
細君は襦袢《じゆばん》の袖口で※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]《まぶち》を押拭ひ乍ら、勝手元の方へ行つて食物《くひもの》の準備《したく》を始める。音作の弟は酒を買つて帰つて来る。大丼が出たり、小皿が出たりするところを見ると、何が無くとも有合《ありあはせ》のもので一杯出して、地主に飲んで貰ふといふ積りらしい。思へば小作人の心根《こゝろね》も可傷《あはれ》なものである。万事は音作のはからひ、酒の肴《さかな》には蒟蒻《こんにやく》と油揚《あぶらげ》の煮付、それに漬物を添へて出す位なもの。軈《やが》て音作は盃《さかづき》を薦《すゝ》めて、
『冷《れい》ですよ、燗《かん》ではごはせんよ――地親《ぢやうや》さんは是方《こつち》でいらつしやるから。』
と言はれて、始めて地主は微笑《ほゝゑみ》を泄《もら》したのである。
其時まで、丑松は細君に話したいと思ふことがあつて、其を言ふ機会も無く躊躇《ちうちよ》して居たのであるが、斯うして酒が始つて見ると、何時《いつ》是地主が帰つて行くか解らない。御相伴《おしやうばん》に一つ、と差される盃を辞退して、ついと炉辺を離れた。表の入口のところへ省吾を呼んで、物の蔭に佇立《たゝず》み乍ら、袂から取出したのは例の紙の袋に入れた金である。丑松は斯う言つた。後刻《あと》で斯の金を敬之進に渡して呉れ。それから家の事情で退校させるといふ敬之進の話もあつたが、月謝や何かは斯中《このなか》から出して、是非今迄通りに学校へ通はせて貰ふやうに。『いゝかい、君、解つたかい。』と添加《つけた》して、それを省吾の手に握らせるのであつた。
『まあ、君は何といふ冷い手をしてゐるだらう。』
斯う言ひ乍ら、丑松は少年の手を堅く握り締めた。熟《じつ》と其の邪気《あどけ》ない顔付を眺めた時は、あのお志保の涙に霑《ぬ》れた清《すゞ》しい眸《ひとみ》を思出さずに居られなかつたのである。
(五)
敬之進の家を出て帰つて行く道すがら、すくなくも丑松はお志保の為に尽したこ
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