る。娘はもう悲いやら恐しいやらで、夜も碌々眠られないと言ふ。呆《あき》れたねえ、我輩も是《この》話を聞いた時は。だから、君、娘が家《うち》へ帰りたいと言ふのは、実際無理もない。我輩だつて、其様なところへ娘を遣《や》つて置きたくは無い。そりやあもう一日も早く引取りたい。そこがそれ情ないことには、今の家内がもうすこし解つて居て呉れると、奈何《どう》にでもして親子でやつて行かれないことも有るまいと思ふけれど、現に省吾一人にすら持余して居るところへ、またお志保の奴が飛込んで来て見給へ――到底《とても》今の家内と一緒に居られるもんぢや無い。第一、八人の親子が奈何して食へよう。其や是やを考へると、我輩の口から娘に帰れとは言はれないぢやないか。噫《あゝ》、辛抱、辛抱――出来ることを辛抱するのは辛抱でも何でも無い、出来ないところを辛抱するのが真実《ほんたう》の辛抱だ。行け、行け、心を毅然《しつかり》持て。奥様といふものも附いて居る。その人の傍に居て離れないやうにしたら、よもや無理なことを言懸けられもしまい。たとへ先方《さき》が親らしい行為をしない迄《まで》も、これまで育てゝ貰つた恩義も有る。一旦蓮華寺の娘と成つた以上は、奈何《どん》な辛いことがあらうと決して家《うち》へ帰るな。そこを勤め抜くのが孝行といふものだ。とまあ、賺《すか》したり励《はげま》したりして、無理やりに娘を追立てゝやつたよ。思へば可愛さうなものさ。あゝ、あゝ、斯ういふ時に先の家内が生きて居たならば――』
 敬之進の顔には真実と苦痛とが表れて、眼は涙の為に濡《ぬ》れ輝いた。成程、左様言はれて見ると、丑松も思ひ当ることがないでもない。あの蓮華寺の内部《なか》の光景《ありさま》を考へると、何か斯う暗い雲が隅のところに蟠《わだかま》つて、絶えず其が家庭の累《わづらひ》を引起す原因《もと》で、住職と奥様とは無言の間に闘つて居るかのやう――譬《たと》へば一方で日があたつて、楽しい笑声の聞える時でも、必ず一方には暴風雨《あらし》が近《ちかづ》いて居る。斯ういふ感想《かんじ》は毎日のやうに有つた。唯其は何処の家庭《うち》にも克《よ》くある角突合《つのづきあひ》――まあ、住職と奥様とは互ひに仏弟子のことだから、言はゞ高尚な夫婦喧嘩、と丑松も想像して居たので、よもや其雲のわだかまりがお志保の上にあらうとは思ひ設けなかつたのである。奥様
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