のやうに起つた。人々は復《ま》た賽銭を取出して並べた。
 斯ういふ説教の間にも、時々丑松は我を忘れて、熱心な眸《ひとみ》をお志保の横顔に注いだ。流石《さすが》に人目を憚《はゞか》つて見まい/\と思ひ乍らも、つい見ると、仏壇の方を眺め入つたお志保の目付の若々しさ。不思議なことには、熱い涙が人知れず其顔を流れるといふ様子で、時々|啜《すゝ》り上げたり、密《そつ》と鼻を拭《か》んだりした。尚よく見ると、言ふに言はれぬ恐怖《おそれ》と悲愁《うれひ》とが女らしい愛らしさに交つて、陰影《かげ》のやうに顕《あらは》れたり、隠れたりする。何をお志保は考へたのだらう。何を感じたのだらう。何を思出したのだらう。斯《か》う丑松は推量した。今夜の法話が左様《さう》若い人の心を動かすとも受取れない。有体《ありてい》に言へば、住職の説教はもう旧《ふる》い、旧い遣方で、明治生れの人間の耳には寧《いつ》そ異様に響くのである。型に入つた仮白《せりふ》のやうな言廻し、秩序の無い断片的な思想、金色に光り輝く仏壇の背景――丁度それは時代な劇《しばゐ》でも観て居るかのやうな感想《かんじ》を与へる。若いものが彼様《あゝ》いふ話を聴いて、其程胸を打たれようとは、奈何《どう》しても思はれなかつたのである。
 省吾はそろ/\眠くなつたと見え、姉に倚凭《よりかゝ》つた儘《まゝ》、首を垂れて了《しま》つた。お志保はいろ/\に取賺《とりすか》して、動《ゆす》つて見たり、私語《さゝや》いて見たりしたが、一向に感覚が無いらしい。
『これ――もうすこし起きておいでなさいよ。他様《ひとさま》が見て笑ふぢや有《あり》ませんか。』と叱るやうに言つた。奥様は引取つて、
『其処へ寝かして置くが可《いゝ》やね。ナニ、子供のことだもの。』
『真実《ほんと》に未《ま》だ児童《ねんねえ》で仕方が有ません。』
 斯う言つて、お志保は省吾を抱直した。殆んど省吾は何にも知らないらしい。其時丑松が顔を差出したので、お志保も是方《こちら》を振向いた。お志保は文平を見て、奥様を見て、それから丑松を見て、紅《あか》くなつた。

       (五)

 法話の第三部は白隠に関する伝説を主にしたものであつた。昔、飯山の正受菴《しやうじゆあん》に恵端禅師といふ高僧が住んだ。白隠が斯の人を尋ねて、飯山へやつて来たのは、まだ道を求めて居る頃。参禅して教を聴く積りで、
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