文平は校長の側を離れて窓の方へ行つた。戸を開けて入つて来たのは丑松で、入るや否や思はず一歩《ひとあし》逡巡《あとずさり》した。
『何を話して居たのだらう、斯《こ》の二人は。』と丑松は猜疑深《うたぐりぶか》い目付をして、二人の様子を怪まずには居られなかつたのである。
『校長先生、』と丑松は何気なく尋ねて見た。『どうでせう、今日はすこし遅く始めましたら。』
『左様《さやう》――生徒は未《ま》だ集りませんか。』と校長は懐中時計を取出して眺める。
『どうも思ふやうに集りません。何を言つても、是雪ですから。』
『しかし、最早《もう》時間は来ました。生徒の集る、集らないは兎《と》に角《かく》、規則といふものが第一です。何卒《どうぞ》小使に左様言つて、鈴を鳴らさせて下さい。』
(二)
其朝ほど無思想な状態《ありさま》で居たことは、今迄丑松の経験にも無いのであつた。実際其朝は半分眠り乍ら羽織袴を着けて来た。奥様が詰て呉れた弁当を提げて、久し振で学校の方へ雪道を辿《たど》つた時も、多くの教員仲間から弔辞《くやみ》を受けた時も、受持の高等四年生に取囲《とりま》かれて種々《いろ/\》なことを尋ねられた時も、丑松は半分眠り乍ら話した。授業が始つてからも、時々|眼前《めのまへ》の事物《ことがら》に興味を失つて、器械のやうに読本の講釈をして聞かせたり、生徒の質問に答へたりした。其日は遊戯の時間の監督にあたる日、鈴が鳴つて休みに成る度に、男女の生徒は四方から丑松に取縋《とりすが》つて、『先生、先生』と呼んだり叫んだりしたが、何を話して何を答へたやら、殆んど其感覚が無かつた位。丑松は夢見る人のやうに歩いて、あちこちと馳せちがふ多くの生徒の監督をした。
銀之助が駈寄つて、
『瀬川君――君は気分でも悪いと見えるね。』
と言つたのは覚えて居るが、其他の話はすべて記憶に残らなかつた。
斯《か》ういふ中にも、唯一つ、あの省吾に呉れたいと思つて、用意したものを持つて来ることだけは忘れなかつた。昼休みには、高等科から尋常科までの生徒が学校の内で飛んだり跳ねたりして騒いだ。なかには広い運動場に出て、雪投げをして遊ぶものもあつた。丁度高等四年の教室には誰も居なかつたので、そこへ丑松は省吾を連れて行つて、新聞紙に包んだものを取出して見せて、
『君に呈《あ》げようと思つて斯ういふものを持つて来
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