を飲んだ。新しい木製の珠数《じゆず》、それが奥様からの餞別であつた。やがて丑松は庄馬鹿の手作りにしたといふ草鞋《わらぢ》を穿《は》いて、人々のなさけに見送られて蓮華寺の山門を出た。
第七章
(一)
それは忘れることの出来ないほど寂しい旅であつた。一昨年《をとゝし》の夏帰省した時に比べると、斯《か》うして千曲川《ちくまがは》の岸に添ふて、可懐《なつか》しい故郷の方へ帰つて行く丑松は、まあ自分で自分ながら、殆んど別の人のやうな心地がする。足掛三年、と言へば其程長い月日とも聞えないが、丑松の身に取つては一生の変遷《うつりかはり》の始つた時代で――尤《もつと》も、人の境遇によつては何時変つたといふことも無しに、自然に世を隔てたやうな感想《かんじ》のするものもあらうけれど――其|精神《こゝろ》の内部《なか》の革命が丑松には猛烈に起つて来て、しかも其を殊に深く感ずるのである。今は誰を憚《はゞか》るでも無い身。乾燥《はしや》いだ空気を自由に呼吸して、自分のあやしい運命を悲しんだり、生涯の変転に驚いたりして、無限の感慨に沈み乍《なが》ら歩いて行つた。千曲川の水は黄緑の色に濁つて、声も無く流れて遠い海の方へ――其岸に蹲《うづくま》るやうな低い楊柳《やなぎ》の枯々となつた光景《さま》――あゝ、依然として旧《もと》の通りな山河の眺望は、一層丑松の目を傷《いた》ましめた。時々丑松は立留つて、人目の無い路傍《みちばた》の枯草の上に倒れて、声を揚げて慟哭《どうこく》したいとも思つた。あるひは、其を為《し》たら、堪へがたい胸の苦痛《いたみ》が少許《すこし》は減つて軽く成るかとも考へた。奈何《いかん》せん、哭《な》きたくも哭くことの出来ない程、心は重く暗く閉塞《とぢふさが》つて了つたのである。
漂泊する旅人は幾群か丑松の傍《わき》を通りぬけた。落魄の涙に顔を濡して、餓《う》ゑた犬のやうに歩いて行くものもあつた。何か職業を尋ね顔に、垢染《あかじ》みた着物を身に絡《まと》ひ乍ら、素足の儘《まゝ》で土を踏んで行くものもあつた。あはれげな歌を歌ひ、鈴振鳴らし、長途の艱難を修行の生命《いのち》にして、日に焼けて罪滅《つみほろぼ》し顔な巡礼の親子もあつた。または自堕落な編笠姿《あみがさすがた》、流石《さすが》に世を忍ぶ風情《ふぜい》もしをらしく、放肆《ほしいまゝ》に恋慕の一曲を
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