供ですからねえ。まあ、私は母のことを克《よ》く覚えても居ない位なんです――実際母親といふものゝ味を真実《ほんたう》に知らないやうなものなんです。父親《おやぢ》だつても、矢張|左様《さう》で、この六七年の間は一緒に長く居て見たことは有ません。いつでも親子はなれ/″\。実は父親も最早《もう》好い年でしたからね――左様《さう》ですなあ貴方の父上《おとつ》さんよりは少許《すこし》年長《うへ》でしたらう――彼様《あゝ》いふ風に平素《ふだん》壮健《たつしや》な人は、反《かへ》つて病気なぞに罹《かゝ》ると弱いのかも知れませんよ。私なぞは、ですから、親に縁の薄い方の人間なんでせう。と言へば、まあお志保さん、貴方だつても其御仲間ぢや有ませんか。』
斯《こ》の言葉はお志保の涙を誘ふ種となつた。あの父親とは――十三の春に是寺へ貰はれて来て、それぎり最早《もう》一緒に住んだことがない。それから、あの生《うみ》の母親とは――是はまた子供の時分に死別れて了つた。親に縁の薄いとは、丁度お志保の身の上でもある。お志保は自分の家の零落を思出したといふ風で、すこし顔を紅《あか》くして、黙つて首を垂れて了つた。
そのお志保の姿を注意して見ると、亡くなつた母親といふ人も大凡《おほよそ》想像がつく。『彼娘《あのこ》の容貌《かほつき》を見ると直《すぐ》に前《せん》の家内が我輩の眼に映る』と言つた敬之進の言葉を思出して見ると、『昔風に亭主に便《たよる》といふ風で、どこまでも我輩を信じて居た』といふ女の若い時は――いづれこのお志保と同じやうに、情の深い、涙脆《なみだもろ》い、見る度に別の人のやうな心地《こゝろもち》のする、姿ありさまの種々《いろ/\》に変るやうな人であつたに相違ない。いづれこのお志保と同じやうに、醜くも見え、美しくも見え、ある時は蒼く黄ばんで死んだやうな顔付をして居るかと思ふと、またある時は花のやうに白い中《うち》にも自然と紅味《あかみ》を含んで、若く、清く、活々とした顔付をして居るやうな人であつたに相違ない。まあ、お志保を通して想像した母親の若い時の俤《おもかげ》は斯《か》うであつた。快活な、自然な信州北部の女の美質と特色とは、矢張丑松のやうな信州北部の男子《をとこ》の眼に一番よく映るのである。
旅の仕度が出来た後、丑松はこの二階を下りて、蔵裏《くり》の広間のところで皆《みんな》と一緒に茶
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