。
(四)
丑松が急いで蓮華寺へ帰つた時は、奥様も、お志保も飛んで出て来て、電報の様子を問ひ尋ねた。奈何《どんな》に二人は丑松の顔を眺めて、この可傷《いたま》しい報知《しらせ》の事実を想像したらう。奈何に二人は昨夜の不思議な出来事を聞取つて、女心に恐しくあさましく考へたらう。奈何に二人は世にある多くの例《ためし》を思出して、死を告げる前兆《しらせ》、逢ひに来る面影、または闇を飛ぶといふ人魂《ひとだま》の迷信なぞに事寄せて、この暗合した事実に胸を騒がせたらう。
『それはさうと、』と奥様は急に思付いたやうに、『まだ貴方は朝飯前でせう。』
『あれ、左様《さう》でしたねえ。』とお志保も言葉を添へた。
『瀬川さん。そんなら準備《したく》して御出《おいで》なすつて下さい。今直に御飯にいたしますから。是《これ》から御出掛なさるといふのに、生憎《あいにく》何にも無くて御気の毒ですねえ――塩鮭《しほびき》でも焼いて上げませうか。』
奥様はもう涙ぐんで、蔵裏《くり》の内をぐる/\廻つて歩いた。長い年月の精舎《しやうじや》の生活は、この女の性質を感じ易く気短くさせたのである。
『なむあみだぶ。』
と斯《こ》の有髪《うはつ》の尼《あま》は独語《ひとりごと》のやうに唱へて居た。
丑松は二階へ上つて大急ぎで旅の仕度をした。場合が場合、土産も買はず、荷物も持たず、成るべく身軽な装《なり》をして、叔母の手織の綿入を行李《かうり》の底から出して着た。丁度そこへ足を投出して、脚絆《きやはん》を着けて居るところへ、下女の袈裟治に膳を運ばせて、つゞいて入つて来たのはお志保である。いつも飯櫃《めしびつ》は出し放し、三度が三度手盛りでやるに引きかへ、斯うして人に給仕して貰ふといふは、嬉敷《うれしく》もあり、窮屈でもあり、無造作に膳を引寄せて、丑松はお志保につけて貰つて食つた。其日はお志保もすこし打解けて居た。いつものやうに丑松を恐れる様子も見えなかつた。敬之進の境涯を深く憐むといふ丑松の真実が知れてから、自然と思惑《おもはく》を憚《はゞか》る心も薄らいで、斯うして給仕して居る間にも種々《いろ/\》なことを尋ねた。お志保はまた丑松の母のことを尋ねた。
『母ですか。』と丑松は淡泊《さつぱり》とした男らしい調子で、『亡くなつたのは丁度私が八歳《やつつ》の時でしたよ。八歳といへば未だほんの小
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