雲くれなゐとかはりけり
あゝゆふまぐれわれひとり
たどる林もひらけきて
いと靜かなる湖の
岸邊にさける花躑躅
うき雲ゆけばかげ見えて
水に沈める春の日や
それ紅《くれなゐ》の色染めて
雲紫となりぬれば
かげさへあかき水鳥の
春のみづうみ岸の草
深き林や花つゝじ
迷ふひとりのわがみだに
深紫《ふかむらさき》の紅《くれなゐ》の
彩《あや》にうつろふ夕まぐれ
[#改丁]

  一葉舟より
     明治三十年――同三十一年
        (仙臺及び東京にて)
[#改丁]

 鷲の歌


みるめの草は青くして海の潮《うしほ》の香《か》ににほひ
流れ藻の葉はむすぼれて蜑の小舟にこがるゝも
あしたゆふべのさだめなき大龍神《おほたつがみ》の見る夢の
闇《くら》きあらしに驚けば海原《うなばら》とくもかはりつゝ

とくたちかへれ夏波に友よびかはす濱千鳥
もしほやく火はきえはてて岩にひそめるかもめどり
蜑は苫やに舟は磯いそうちよする波ぎはの
削りて高き巖角《いはかど》にしばし身をよす二羽の鷲

いかづちの火の岩に落ち波間《なみま》に落ちて消ゆるまも
寢みだれ髮か黒雲《くろくも》の風にふかれつそらに飛び
葡萄の酒の濃紫いろこそ似たれ荒波《あらなみ》の
波のみだれて狂ひよるひゞきの高くすさまじや

翼《つばさ》の骨をそばだててすがたをつゝむ若鷲の
身は覆羽《おおひば》やさごろもや腋羽《ほろば》のうちにかくせども
見よ老鷲はそこ白く赤すぢたてる大爪に
岩をつかみて中高き頭《かしら》靜かにながめけり

げに白髮《しらかみ》のものゝふの劍《つるぎ》の霜を拂ふごと
唐藍《からあゐ》の花ますらをのかの青雲《あをくも》を慕ふごと
黄葉《もみぢ》の影に啼く鹿の谷間《たにま》の水に喘《あへ》ぐごと
眼《まなこ》鋭く老鷲は雲の行くへをのぞむかな

わが若鷲はうちひそみわが老鷲はたちあがり
小河に映《うつ》る明星の澄めるに似たる眼《まなこ》して
黒雲《くろくも》の行く大空《おほぞら》のかなたにむかひうめきしが
いづれこゝろのおくれたり高し烈《はげ》しとさだむべき

わが若鷲は琴柱尾《ことぢを》や胸に文《あや》なす鷸《しぎ》の斑《ふ》の
承毛《うけげ》は白く柔和《やはらか》に谷の落《おと》し羽《は》飛ぶときも
湧きて流るゝ眞清水《ましみづ》の水に翼《つばさ》をうちひたし
このめる蔭は行く春のなごりにさける花躑躅

わが老鷲は肩剛く胸腹《むなばら》廣く溢れいで
烈しき風をうち凌ぐ羽《はね》は著《しる》くもあらはれて
藤の花かも胸の斑《ふ》や髀《もゝ》に甲《よろひ》をおくごとく
鳥《とり》の命《いのち》の戰ひに翼にかゝる老の霜

げにいかめしきものゝふの盾《たて》にもいづれ翼をば
張りひろげたる老鷲のふたゝびみたび羽《は》ばたきて
踴れる胸は海潮《うみじほ》の湧きつ流れつ鳴るごとく
力あふれて空高く舞ひたちあがるすがたかな

黒岩茸の岩ばなに生ふにも似るか若鷲の
巖角《いはかど》ふかく身をよせて飛ぶ老鷲をうかゞふに
紋は花菱舞ひ扇ひらめきかへる疾風《はやかぜ》の
わが老鷲を吹くさまは一葉《ひとは》を振《ふ》るに似たりけり

たゝかふためにうまれては羽《はね》を劍《つるぎ》の老鷲の
うたむかたむと小休なき熱き胸より吹く氣息《いき》は
色くれなゐの火炎《ほのほ》かもげに悲痛《かなしみ》の湧き上り
勁《つよ》き翼をひるがへしかの天雲《あまぐも》を凌ぎけり

光《ひかり》を慕ふ身なれども運命《さだめ》かなしや老鳥《おいどり》の
一こゑ深き苦悶《くるしみ》のおとをみそらに殘しおき
金絲《きんし》の縫の黒繻子の帶かとぞ見る黒雲《くろくも》の
羽袖のうちにつゝまれて姿はいつか消えにけり

あゝさだめなき大空《おほぞら》のけしきのとくもかはりゆき
闇《くら》きあらしのをさまりて光にかへる海原や
細くかゝれる彩雲《あやぐも》はゆかりの色の濃紫
薄紫のうつろひに樂しき園となりけらし

命を岩につなぎては細くも絲をかけとめて
腋羽《ほろば》につゝむ頭《かしら》をばうちもたげたる若鷲の
鉤《はり》にも似たる爪先の雨にぬれたる岩ばなに
かたくつきたる一つ羽《は》はそれも名殘か老鷲の

霜ふりかゝる老鷲の一羽《ひとは》をくはへ眺むれば
夏の光にてらされて岩根にひゞく高潮《たかしほ》の
碎けて深き海原《うなばら》の岩角《いはかど》に立つ若鷲は
日影にうつる雲さして行くへもしれず飛ぶやかなたへ
[#改ページ]

 白磁花瓶賦


みしやみぎはの白あやめ
はなよりしろき花瓶《はながめ》を
いかなるひとのたくみより
うまれいでしとしるやきみ

瓶《かめ》のすがたのやさしきは
根ざしも清き泉より
にほひいでたるしろたへの
こゝろのはなと君やみむ

さばかり清きたくみぞと
いひたまふこそうれしけれ
うらみわびつるわが友の
うきなみだよりいでこしを

ゆめにたはふれ夢に醉ひ
さむるときなきわが友の
名殘は白き花瓶《はながめ》に
あつきなみだの殘るかな

にごりをいでてさくはなに
にほひありとなあやしみそ
光《ひかり》は高き花瓶《はながめ》に
戀の嫉妬《ねたみ》もあるものを

命運《さだめ》をよそにかげろふの
きゆるためしぞなしといへ
あまりに薄き縁《えにし》こそ
友のこのよのいのちなれ

やがてさかえむゆくすゑの
ひかりも待たで夏の夜の
短かき夢は燭火《ともしび》の
花と散りゆきはかなさや

つゆもまだひぬみどりばの
しげきこずゑのしたかげに
ほとゝぎすなく夏のひの
もろ葉がくれの青梅《あをうめ》も

夏の光のかゞやきて
さつきの雨のはれわたり
黄金《こがね》いろづく梅が枝《え》に
たのしきときやあるべきを

胸の青葉のうらわかみ
朝露《あさつゆ》しげきこずゑより
落ちてくやしき青梅《あをうめ》の
實《み》のひとつなる花瓶《はながめ》よ

いのちは薄き蝉の羽の
ひとへごろものうらもなく
はじめて友の戀歌《こひうた》を
花影《はなかげ》にきてうたふとき

緑のいろの夏草の
あしたの露にぬるゝごと
深くすゞしきまなこには
戀の雫のうるほひき

影を映《うつ》してさく花の
流るゝ水を慕ふごと
なさけをふくむ口脣に
からくれなゐの色を見き

をとめごゝろを眞珠《しらたま》の
藏《くら》とは友の見てしかど
寶《たから》の胸をひらくべき
戀の鍵《かぎ》だになかりしか

いとけなきかなひとのよに
智惠ありがほの戀なれど
をとめごゝろのはかなさは
友の得しらぬ外なりき

あひみてのちはとこしへの
わかれとなりし世のなごり
かなしきゆめと思ひしを
われや忘れじ夏の夜半《よは》

月はいでけり夏の夜の
青葉の蔭にさし添ひて
あふげば胸に忍び入る
ひかりのいろのさやけさや

ゆめにゆめ見るこゝちして
ふたりの膝をうち照らす
月の光にさそはれつ
しづかに友のうたふうた

  たれにかたらむ
  わがこゝろ
  たれにかつげむ
  このおもひ

  わかきいのちの
  あさぼらけ
  こゝろのはるの
  たのしみよ

  などいたましき
  かなしみの
  ゆめとはかはり
  はてつらむ

  こひはにほへる
  むらさきの
  さきてちりぬる
  はななるを

  あゝかひなしや
  そのはなの
  ゆかしかるべき
  かをかげば

  わがくれなゐの
  かほばせに
  とゞめもあへぬ
  なみだかな

  くさふみわくる
  こひつじよ
  なれものずゑに
  まよふみか

  さまよひやすき
  たびびとよ
  なあやまりそ
  ゆくみちを

  龍《たつ》を刻みし宮柱《みやばしら》
  ふとき心はありながら
  薄き命のはたとせの
  名殘は白き瓶《かめ》ひとつ

  たをらるべきをいのちにて
  はなさくとにはあらねども
  朝露《あさつゆ》おもきひとえだに
  うれひをふくむ花瓶《はながめ》や

  あゝあゝ清き白雪《しらゆき》は
  つもりもあへず消ゆるごと
  なつかしかりし友の身は
  われをのこしてうせにけり

  せめては白き花瓶《はながめ》よ
  消えにしあとの野の花の
  色にもいでよわが友の
  いのちの春の雪の名殘を
[#改ページ]

 銀河


天《あま》の河原《かはら》を
  ながむれば
星の力《ちから》は
  おとろへて
遠きむかしの
  ゆめのあと
こゝにちとせを
  すぎにけり

そらの泉《いづみ》を
  よのひとの
汲むにまかせて
  わきいでし
天の河原は
  かれはてて
水はいづこに
  うせつらむ

ひゞきをあげよ
  織姫よ
みどりの空は
  かはらねど
ほしのやどりの
  今ははた
いづこに梭の
  音《ね》をきかむ

あゝひこぼしも
  織姫も
今はむなしく
  老い朽《く》ちて
夏のゆふべを
  かたるべき
みそらに若き
  星もなし
[#改ページ]

 きりぎりす


去年《こぞ》蔦の葉の
  かげにきて
うたひいでしに
  くらぶれば
ことしも同じ
  しらべもて
かはるふしなき
  きりぎりす

耳なきわれを
  とがめそよ
うれしきものと
  おもひしを
自然《しぜん》のうたの
  かくまでに
舊《ふる》きしらべと
  なりけるか

同じしらべに
  たへかねて
草と草との
  花を分け
聲あるかたに
  たちよりて
蟲のこたへを
  もとめけり

花をへだてて
  きみがため
聞くにまかせて
  うたへども
うたのこゝろの
  かよはねば
せなかあはせの
  きりぎりす
[#改ページ]

 春やいづこに


かすみのかげにもえいでし
糸の柳にくらぶれば
いまは小暗き木下闇《こしたやみ》
  あゝ一時《ひととき》の
      春やいづこに

色をほこりしあさみどり
わかきむかしもありけるを
今はしげれる夏の草
  あゝ一時《ひととき》の
      春やいづこに

梅も櫻もかはりはて
枝は緑《みどり》の酒のごと
醉うてくづるゝ夏の夢
  あゝ一時《ひととき》の
      春やいづこに
[#改丁]

  夏草より
     明治三十一年
       (木曾福島にて)
[#改丁]

 子兎のうた


ゆきてとらへよ
   大麥の
畠《はた》にかくるゝ
   小兎《こうさぎ》を

われらがつくる
   麥畠《むぎはた》の
青くさかりと
   なるものを

たわにみのりし
   穗のかげを
みだすはたれの
   たはむれぞ

麥まきどりの
   きなくより
丸根《まるね》に雨の
   かゝるまで

朝露《あさつゆ》しげき
   星影《ほしかげ》に
片《かた》さがりなき
   鍬《くは》まくら

ゆふづゝ沈む
   山のはの
こだまにひゞく
   はたけうち

われらがつくる
   麥畠《むぎはた》の
青くさかりと
   なるものを

ゆきてとらへよ
   大麥の
畠にかくるゝ
   小兎を
[#改ページ]

 晩春の別離


時は暮れ行く春よりぞ
また短きはなかるらむ
恨《うらみ》は友の別れより
さらに長きはなかるらむ

君を送りて花近き
高樓《たかどの》までもきて見れば
緑に迷ふ鶯は
霞《かすみ》空《むな》しく鳴きかへり
白き光は佐保姫の
春の車駕《くるま》を照らすかな

これより君は行く雲と
ともに都を立ちいでて
懷《おも》へば琵琶の湖《みづうみ》の
岸の光にまよふとき
東|膽吹《いぶき》の山高く
西には比叡比良の峯
日は行き通ふ山々の
深きながめをふしあふぎ
いかにすぐれし想《おもひ》をか
沈める波に湛《たゝ》ふらむ

流れは空し法皇の
夢《ゆめ》杳《はる》かなる鴨の水
水にうつろふ山城の
みやびの都《みやこ》行く春の
霞めるすがた見つくして
畿内に迫る伊賀伊勢の
鈴鹿の山の波遠く
海に落つるを望むとき
いかに萬《よろづ》の恨《うらみ》をば
空行く鷲に窮むらむ

春去り行かば青丹よし
奈良の都に尋ね入り
としつき君がこひ慕ふ
御堂《みだう》のうちに遊ぶとき
古き藝術《たくみ》の花の香《か》の
伽藍《がらん》の壁《かべ》に遺りなば
いかに韻《にほひ》を
前へ 次へ
全10ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング