を摘《つ》まむと思はざる

戀の花にも戲るゝ
嫉妬《ねたみ》の蝶の身ぞつらき
二つの羽《はね》もをれをれて
翼《つばさ》の色はあせにけり

人の命を春の夜の
夢といふこそうれしけれ
夢よりもいやいや深き
われに思ひのあるものを

梅の花さくころほひは
蓮さかばやと思ひわび
蓮の花さくころほひは
萩さかばやと思ふかな

待つまも早く秋は來《き》て
わが踏む道に萩さけど
濁りて待てる吾戀は
清き怨《うらみ》となりにけり
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 望郷

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寺をのがれいでたる僧のうたひし
そのうた
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いざさらば
これをこの世のわかれぞと
のがれいでては住みなれし
御寺《みてら》の藏裏《くり》の白壁《しらかべ》の
眼《め》にもふたゝび見ゆるかな

いざさらば
住めば佛のやどりさへ
火炎《ほのほ》の宅《いへ》となるものを
なぐさめもなき心より
流れて落つる涙かな

いざさらば
心の油濁るとも
ともしびたかくかきおこし
なさけは熱くもゆる火の
こひしき塵《ちり》にわれは燒けなむ
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 かもめ


波に生れて波に死ぬ
情《なさけ》の海のかもめどり
戀の激波《おほなみ》たちさわぎ
夢むすぶべきひまもなし

闇き潮《うしほ》の驚きて
流れて歸るわだつみの
鳥の行衞も見えわかぬ
波にうきねのかもめどり
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 流星


門《かど》にたち出でたゞひとり
人待ち顏のさみしさに
ゆふべの空をながむれば
雲の宿りも捨てはてて
何かこひしき人の世に
流れて落つる星一つ
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 君と遊ばむ


君と遊ばむ夏の夜の
青葉の影の下すゞみ
短かき夢は結ばずも
せめてこよひは歌へかし

雲となりまた雨となる
晝の愁ひはたえずとも
星の光をかぞへ見よ
樂みのかず夜《よ》は盡きじ

夢かうつゝか天の川
星に假寢の織姫の
ひゞきもすみてこひわたる
梭の遠音を聞かめやも
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 晝の夢


花橘の袖の香の
みめうるはしきをとめごは
眞晝《まひる》に夢を見てしより
さめて忘るゝ夜のならひ
白日《まひる》の夢のなぞもかく
忘れがたくはありけるものか

ゆめと知りせばなまなかに
さめざらましを世に出でて
うらわかぐさのうらわかみ
何をか夢の名殘ぞと
問はば答へむ目さめては
熱き涙のかわく間もなし
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 四つの袖


をとこの氣息《いき》のやはらかき
お夏の髮にかゝるとき
をとこの早きためいきの
霰《あられ》のごとくはしるとき

をとこの熱《あつ》き手の掌《ひら》の
お夏の手にも觸るゝとき
をとこの涙ながれいで
お夏の袖にかゝるとき

をとこの黒き目のいろの
お夏の胸に映《うつ》るとき
をとこの紅《あか》き口脣《くちびる》の
お夏の口にもゆるとき

人こそしらね嗚呼戀の
ふたりの身より流れいで
げにこがるれど慕へども
やむときもなき清十郎
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 ※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]


花によりそふ※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《にはとり》の
夫《つま》よ妻鳥《めどり》よ燕子花
いづれあやめとわきがたく
さも似つかしき風情《ふぜい》あり

姿やさしき牝※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《めんどり》の
かたちを恥づるこゝろして
花に隱るゝありさまに
品かはりたる夫鳥《つまどり》や

雄々しくたけき雄※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《をんどり》の
とさかの色も艶《つや》にして
黄なる口嘴《くちばし》脚蹴爪《あしけづめ》
尾はしだり尾のながながし

問うても見まし誰《た》がために
よそほひありく夫鳥《つまどり》よ
妻《つま》守《も》るためのかざりにと
いひたげなるぞいぢらしき

畫にこそかけれ花鳥《はなとり》の
それにも通ふ一つがひ
霜に侘寢の朝ぼらけ
雨に入日の夕まぐれ

空に一つの明星の
闇行く水に動くとき
日を迎へむと※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《にはとり》の
夜《よる》の使を音《ね》にぞ鳴く

露けき朝の明けて行く
空のながめを誰《たれ》か知る
燃ゆるがごとき紅《くれなゐ》の
雲のゆくへを誰《たれ》か知る

闇もこれより隣なる
聲ふりあげて鳴くときは
人の長眠《ねむり》のみなめざめ
夜《よ》は日に通ふ夢まくら

明けはなれたり夜《よ》はすでに
いざ妻鳥《つまどり》と巣を出でて
餌《ゑ》をあさらむと野に行けば
あなあやにくのものを見き

見しらぬ※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《とり》の音《ね》も高《たか》に
あしたの空に鳴き渡り
草かき分けて來《く》るはなぞ
妻戀ふらしや妻鳥《つまどり》を

ねたしや露に羽《はね》ぬれて
朝日にうつる影見れば
雄※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《をどり》に惜しき白妙の
雪をあざむくばかりなり

力《ちから》あるらし聲たけき
敵《かたき》のさまを懼れてか
聲色《いろ》あるさまに羞ぢてかや
妻鳥《めどり》は花に隱れけり

かくと見るより堪へかねて
背《せ》をや高めし夫鳥《つまどり》は
羽がきも荒く飛び走り
蹴爪に土をかき狂ふ

筆毛のさきも逆立《さかだ》ちて
血潮《ちしほ》にまじる眼のひかり
二つの※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《とり》のすがたこそ
是《これ》おそろしき風情《ふぜい》なれ

妻鳥《めどり》は花を馳け出でて
爭鬪《あらそひ》分くるひまもなみ
たがひに蹴合ふ蹴爪《けづめ》には
火焔《ほのほ》もちるとうたがはる

蹴るや左眼《さがん》の的《まと》それて
羽《はね》に血しほの夫鳥《つまどり》は
敵《てき》の右眼《うがん》をめざしつゝ
爪も折れよと蹴返しぬ

蹴られて落つるくれなゐの
血汐の花も地に染みて
二つの※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《とり》の目もくるひ
たがひにひるむ風情なし

そこに聲あり涙あり
爭ひ狂ふ四つの羽《はね》
血潮《のり》に滑りし夫鳥《つまどり》の
あな仆れけむ聲高し

一聲長く悲鳴して
あとに仆るゝ夫鳥《つまどり》の
羽《はね》は血汐の朱《あけ》に染《そ》み
あたりにさける花紅し

あゝあゝ熱き涙かな
あるに甲斐なき妻鳥は
せめて一聲鳴けかしと
屍《かばね》に嘆くさまあはれ

なにとは知らぬかなしみの
いつか恐怖《おそれ》と變りきて
思ひ亂れて音《ね》をのみぞ
鳴くや妻鳥《めどり》の心なく

我を戀ふらし音《ね》にたてて
姿も色もなつかしき
花のかたちと思ひきや
かなしき敵《てき》とならむとは

花にもつるゝ蝶あるを
鳥に縁《えにし》のなからめや
おそろしきかな其の心
なつかしきかな其の情《なさけ》

紅《あけ》に染《そ》みたる草見れば
鳥の命のもろきかな
火よりも燃ゆる戀見れば
敵《てき》のこゝろのうれしやな

見よ動きゆく大空の
照る日も雲に薄らぎて
花に色なく風吹けば
野はさびしくも變りけり

かなしこひしの夫鳥《つまどり》の
冷えまさりゆく其姿
たよりと思ふ一ふしの
いづれ妻鳥《めどり》の身の末ぞ

恐怖《おそれ》を抱く母と子が
よりそふごとくかの敵《てき》に
なにとはなしに身をよする
妻鳥《めどり》のこゝろあはれなれ

あないたましのながめかな
さきの樂しき花ちりて
空色暗く一彩毛《ひとはけ》の
雲にかなしき野のけしき

行きてかへらぬ鳥はいざ
夫《つま》か妻鳥《めどり》か燕子花
いづれあやめを踏み分けて
野末を歸る二羽の※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《とり》
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 林の歌


力を刻《きざ》む木匠《こだくみ》の
うちふる斧のあとを絶え
春の草花《くさばな》彫刻《ほりもの》の
鑿《のみ》の韻《にほひ》もとゞめじな
いろさまざまの春の葉に
青一筆《あをひとふで》の痕《あと》もなく
千枝《ちえ》にわかるゝ赤樟《あかくす》も
おのづからなるすがたのみ
檜《ひのき》は荒し杉直し
五葉は黒し椎の木の
枝をまじふる白樫や
樗《あふち》は莖をよこたへて
枝と枝とにもゆる火の
なかにやさしき若楓

   山精
  ひとにしられぬ
  たのしみの
  ふかきはやしを
  たれかしる

  ひとにしられぬ
  はるのひの
  かすみのおくを
  たれかしる

   木精
  はなのむらさき
  はのみどり
  うらわかぐさの
  のべのいと

  たくみをつくす
  大機《おほはた》の
  梭《をさ》のはやしに
  きたれかし

   山精
  かのもえいづる
  くさをふみ
  かのわきいづる
  みづをのみ

  かのあたらしき
  はなにゑひ
  はるのおもひの
  なからずや

   木精
  ふるきころもを
  ぬぎすてて
  はるのかすみを
  まとへかし

  なくうぐひすの
  ねにいでて
  ふかきはやしに
  うたへかし

あゆめば蘭の花を踏み
ゆけば楊梅《やまもゝ》袖に散り
袂にまとふ山葛の
葛のうら葉をかへしては
女蘿《ひかげ》の蔭のやまいちご
色よき實こそ落ちにけれ
岡やまつゞき隅々《くま/″\》も
いとなだらかに行き延びて
ふかきはやしの谷あひに
亂れてにほふふぢばかま
谷に花さき谷にちり
人にしられず朽つるめり
せまりて暗き峽《はざま》より
やゝひらけたる深山木《みやまぎ》の
春は木枝《こえだ》のたゝずまひ
しげりて廣き熊笹の
葉末をふかくかきわけて
谷のかなたにきて見れば
いづくに行くか瀧川よ
聲もさびしや白糸の
青き巖《いはほ》に流れ落ち
若き猿《ましら》のためにだに
音《おと》をとゞむる時ぞなき

   山精
  ゆふぐれかよふ
  たびびとの
  むねのおもひを
  たれかしる

  友にもあらぬ
  やまかはの
  はるのこゝろを
  たれかしる

   木精
  夜《よ》をなきあかす
  かなしみの
  まくらにつたふ
  なみだこそ

  ふかきはやしの
  たにかげの
  そこにながるゝ
  しづくなれ

   山精
  鹿はたふるゝ
  たびごとに
  妻こふこひに
  かへるなり

  のやまは枯るゝ
  たびごとに
  ちとせのはるに
  かへるなり

   木精
  ふるきおちばを
  やはらかき
  青葉のかげに
  葬れよ

  ふゆのゆめぢを
  さめいでて
  はるのはやしに
  きたれかし

今しもわたる深山《みやま》かぜ
春はしづかに吹きかよふ
林の簫《せう》の音《ね》をきけば
風のしらべにさそはれて
みれどもあかぬ白妙の
雲の羽袖の深山木の
千枝《ちえだ》にかゝりたちはなれ
わかれ舞ひゆくすがたかな
樹々《きぎ》をわたりて行く雲の
しばしと見ればあともなき
高き行衞にいざなはれ
千々にめぐれる巖影《いはかげ》の
花にも迷ひ石に倚り
流るゝ水の音をきけば
山は危ふく石わかれ
削りてなせる青巖《あをいは》に
碎けて落つる飛潭《たきみづ》の
湧きくる波の瀬を早み
花やかにさす春の日の
光炯《ひかり》照《て》りそふ水けぶり
獨り苔むす岩を攀ぢ
ふるふあゆみをふみしめて
浮べる雲をうかゞへば
下にとゞろく飛潭《たきみづ》の
澄むいとまなき岩波は
落ちていづくに下るらむ

   山精
  なにをいざよふ
  むらさきの
  ふかきはやしの
  はるがすみ

  なにかこひしき
  いはかげを
  ながれていづる
  いづみがは

   木精
  かくれてうたふ
  野の山の
  こゑなきこゑを
  きくやきみ

  つゝむにあまる
  はなかげの
  水のしらべを
  しるやきみ

   山精
  あゝながれつゝ
  こがれつゝ
  うつりゆきつゝ
  うごきつゝ

  あゝめぐりつゝ
  かへりつゝ
  うちわらひつゝ
  むせびつゝ

   木精
  いまひのひかり
  はるがすみ
  いまはなぐもり
  はるのあめ

  あゝあゝはなの
  つゆに醉ひ
  ふかきはやしに
  うたへかし

ゆびをりくればいつたびも
かはれる雲をながむるに
白きは黄なりなにをかも
もつ筆にせむ色彩《いろあや》の
いつしか淡く茶を帶び
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