銀の花霏々として
吹雪の煙|闇《くら》き時
四方は氷に閉されて
江海も音《おと》をひそむ時
汝《いまし》緑の蔭も朽ちせず
空を凌ぐは何の力ぞ
立てよ友なき野邊の帝王《すめらぎ》
ゆゝしく高く立てよ常盤樹
汝《いまし》の長き春なくば
山の命も老いなむか
汝《いまし》の深き息なくば
谷の響も絶えなむか
あしたには葉をうつ霙
ゆふべには枝うつ霰
千草も知らぬ冬の日の
嵐に叫ぶうきなやみ
いづれの日にか
氷は解けて
其葉の涙
消えむとすらむ
あゝよしさらば枝も摧《くだ》けて
終の色の落ちなむ日まで
雲浮かば
無縫の天衣
風立たば
不朽の緒琴
おごそかに
立てよ常盤樹
あら雄々しきかな傷ましきかな
かの常盤樹の落ちず枯れざる
常盤樹の枯れざるは
百千《もゝち》の草の落つるより
傷ましきかな
[#改ページ]

 寂寥


岸の柳は低くして
羊の群の繪にまがひ
野薔薇の幹は埋もれて
流るゝ砂に跡もなし
蓼科山《たでしなやま》の山なみの
麓をめぐる河水や
魚住む淵に沈みては
鴨の頭の深緑
花さく岩にせかれては
天の鼓の樂の音
さても水瀬はくちなはの
かうべをあげて奔るごと
白波高くわだつみに
流れて下る千曲川

あした炎をたゝかはし
ゆふべ煙をきそひてし
駿河にたてる富士の根も
今はさびしき日の影に
白く輝く墓のごと
はるかに沈む雲の外
これは信濃の空高く
今も烈しき火の柱
雨なす石を降らしては
みそらを焦す灰けぶり
神夢さめし天地の
ひらけそめにし昔より
常世につもる白雪は
今も無間の谷の底
湧きてあふるゝ紅の
血潮の池を目にみては
布引に住むはやぶさも
翼をかへす淺間山

あゝ北佐久の岡の裾
御牧が原の森の影
夢かけめぐる旅に寢て
安き一日もあらねばや
高根の上にあかあかと
燃ゆる炎をあふぐとき
み谷の底の青巖に
逆まく浪をのぞむとき
かしこにこゝに寂寥《さびしさ》の
その味ひはにがかりき

あな寂寥《さびしさ》や其の道は
獸の足の跡のみか
舞ひて見せたる大空の
鳥のゆくへのそれのみか
さてもためしの燈火に
若き心をうかゞへば
人の命の樹下蔭
花深く咲き花散りて
枝もたわゝの智慧の實を
味ひそめしきのふけふ
知らずばなにか旅の身に
人のなさけも薄からむ
知らずばなにか移る世に
假の契りもあだならむ
一つの石のつめたきも
萬の聲をこゝに聽き
一つの花のたのしきも
千々の涙をそこに
前へ 次へ
全50ページ中37ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング