觀る
あな寂寥《さびしさ》や吾胸の
小休《をやみ》もなきを思ひみば
あはれの外のあはれさも
智慧のさゝやくわざぞ是
かの深草の露の朝
かの象潟の雨の夕
またはカナンの野邊の春
またはデボンの岸の秋
世をわびびとの寢覺には
あはれ鶉の聲となり
うき旅人の宿りには
ほのかに合歡《ねむ》の花となり
羊を友のわらべには
日となり星の數となり
夢に添ひ寢の農夫には
はつかねずみとあらはれて
あるは形にあるは音《ね》に
色ににほひにかはるこそ
いつはり薄き寂寥《さびしさ》よ
いづれいましのわざならめ
さなりおもては冷やかに
いとつれなくも見ゆるより
深き心はあだし世の
人に知られぬ寂寥《さびしさ》よ
むかしいましが雪山の
佛の夢に見えしとき
かりに姿は花も葉も
根もかぎりなき藥王樹
むかしいましが※[#「さんずい+元」、第3水準1−86−54]湘の
水のほとりにあらはれて
楚に捨てられしあてびとの
熱き涙をぬぐふとき
かりにいましは長沙羅の
鄂渚《がくしょ》の岸に生ひいでて
ゆふべ悲しき秋風に
香ひを送る※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]《けい》の草
またはいましがパトモスの
離れ小島にあらはれて
歎き仆るゝひとり身の
冷たき夢をさますとき
かりに面《おもて》は照れる日や
首はゆふべの空の虹
衣はあやの雲を着て
足は二つの火の柱
默示をかたる言の葉は
高きらつぱの天の聲
思へばむかし北のはて
舟路侘しき佐渡が島
雲に戀しき天つ日の
光も薄く雪ふれば
毘藍の風は吹き落ちて
梵|音聲《おんじやう》を驚かし
岸うつ波は波羅密の
海潮音をとゞろかし
朝霜ふれば袖閉ぢて
衣は凍る鴛鴦の羽
夕霜ふれば現し身に
八つのさむさの寒古鳥
ましてや國の罪人の
安房の生れの栴陀羅《あま》が子を
あな寂寥《さびしさ》や寂寥《さびしさ》や
ひとりいましにあらずして
天にも地にも誰かまた
そのかなしみをあはれまむ
げに晝の夢夜の夢
旅の愁にやつれては
日も暖に花深き
空のかなたを慕ふとき
なやみのとげに責められて
袖に涙のかゝるとき
汲みて味ふ寂寥《さびしさ》の
にがき誠の一雫
秋の日遠しあしたにも
高きに登りゆふべにも
流れをつたひ獨りして
ふりさけ見れば鳥影の
天の鏡に舞ふかなた
思ひを閉す白雲の
浮べるかたを望めども
都は見えず寂寥《さびしさ》よ
來りてわれと共にかたりね
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