雀の群《むれ》にまかせてよ
うたふをきくや鶯の
すぎこしかたの思ひでを

はじめて谷を出でしとき
朔風《きたかぜ》寒《さむ》く霰《あられ》ふり
うちに望みはあふるれど
行くへは雲に隱《かく》れてき

露は緑の羽《はね》を閉《と》ぢ
霜は翅《つばさ》の花となる
あしたに野邊の雪を噛《か》み
ゆふべに谷の水を飮む

さむさに爪も凍りはて
絶えなむとするたびごとに
また新《あら》たなる世にいでて
くしきいのちに歸りけり

あゝ枯菊《かれぎく》に枕して
冬のなげきをしらざれば
誰《た》が身にとめむ吹く風に
にほひ亂るゝ梅が香を

谷間《たにま》の笹の葉を分けて
凍れる露を飮まざれば
誰《た》が身にしめむ白雪の
下に萌え立つ若草を

げに春の日ののどけさは
暗くて過ぎし冬の日を
思ひ忍べる時にこそ
いや樂しくもあるべけれ

梅のこぞめの花笠《はながさ》を
かざしつ醉ひつうたひつゝ
さらば春風吹き來《きた》る
香《にほひ》の國に飛びて遊ばむ
[#改ページ]

 かりがね


さもあらばあれうぐひすの
たくみの奧はつくさねど
または深山《みやま》のこまどりの
しらべのほどはうたはねど
まづかざりなき一|聲《こゑ》に
涙をさそふ秋の雁《かり》

長きなげきは泄《も》らすとも
なほあまりあるかなしみを
うつすよしなき汝《なれ》が身か
などかく秋を呼ぶ聲の
荒《あら》き響《ひゞき》をもたらして
人の心を亂すらむ

あゝ秋の日のさみしさは
小鹿《をじか》のしれるかぎりかは
清《すゞ》しき風に驚きて
羽袖もいとゞ冷《ひや》やかに
百千《もゝち》の鳥の群《むれ》を出て
浮べる雲に慣《な》るゝかな

菊より落つる花びらは
汝《な》がついばむにまかせたり
時雨《しぐれ》に染むるもみぢ葉《ば》は
汝《なれ》がかざすにまかせたり
聲を放ちて叫ぶとも
たれかいましをとゞむべき

星はあしたに冷やかに
露はゆふべにいと白し
風に隨ふ桐の葉の
枝に別れて散るごとく
天《みそら》の海にうらぶれて
たちかへり鳴け秋のかりがね
[#改ページ]

 野路の梅


風かぐはしく吹く日より
夏の緑のまさるまで
梢のかたに葉がくれて
人にしられぬ梅ひとつ

梢は高し手をのべて
えこそ觸れめやたゞひとり
わがものがほに朝夕《あさゆふ》を
ながめ暮《くら》してすごしてき

やがて鳴く鳥おもしろく
黄金《こがね》の色にそめ
前へ 次へ
全50ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング