ニもかなはなかつた。といふのは餘りに深く蒸した庭の苔は胸に迫つて來て、わたしたちの凝視を妨げもしたからであつた。人間の親和力を茶の道に結びつけた昔の人はこんなところで深く物を考へたものかなどと、とりとめもないことを想像しながら、その庵を辭した。歸路には往きと同じ道をとつて、新開地らしい町の出來たところを車の上から見て通り過ぎた。洛北の郊外も今は激しく移り變りつゝある。
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十二日。
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ゆうべ家内を連れて三條の大橋近くまで歩いて見た。
京都に見るべきものと言へば、何人《なんぴと》も先づこの都會に多い寺院に指を屈するが、それらの多くは長い年月の間に改築されたものであり、原形のまゝな記念の建築物の殘存するものは少數にしか過ぎないと聞く。現にわたしたちが見て來た大徳寺の眞珠庵も改築されたものの一つであつた。これは京都が幾度か兵亂の巷となつて、その度に、町も建物も改まつたことを語るものであらう。物語に見る朱雀大路のあとなぞも今は尋ぬべくもない。自分一個としては、この都會に多い寺院よりも、むしろ民家や商家の方に心をひかれる。その民家、商家に見つけるものの
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