メるところから、なまけものの體操の名がある。鷄の鳴聲を聞きつけるころに眼をさましてそのまま枕の上で運動にとりかゝる。末梢より中樞に及ぼし、あるひは中樞より末梢に及ぼす。約三十分ばかり。
 朝早く火鉢の火をつぎ鐵瓶の湯の沸くやうにして置いて、それから朝顏の根に水をそゝぎに行く。去年からわたしはこんな朝顏の培養をはじめたが、これは風雅でも洒落でもなく、隣家の高いトタン塀から來る烈しい日光の反射を防がうがための必要から思ひついたことであつた。でも、早曉の草の手入れは、そのことがすでに爽かで涼しい。地を割つて頭を持ち上げる貝割葉のころから一つとして同じものもないやうな朝顏の中には、最早三尺あまりも自然な蔓の姿を見せて、七月はじめの生氣を呼吸してゐるのもある。

 朝茶。小一時間ばかりの朝茶の時がわたしには一日の中の樂しい靜坐の時である。外國の作者の書いたものを見ると、朝早く屋外を一※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りして一時間ばかりを散歩の時にあて、それから歸つて來て自分でコーヒイを沸かし、いはゆるプッチ・デヂュネといふやつをとるやうな習慣の人もあつたやうであるが、しかし、仕事を控へて
前へ 次へ
全195ページ中74ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング